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東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決 1993年10月20日

《目次》

当事者の表示

主文

事実

第一当事者の申立て

一控訴人

二被控訴人

第二当事者の主張

一請求原因(控訴人)

1 当事者

2 教科書検定制度の沿革

3 本件検定制度の概要

4 「新日本史」に対する従前の検定の実態

5 昭和五五年の申請に係る検定処分の経過と内容

6 昭和五七年の正誤訂正申請不受理の措置とその違憲・違法性

7 昭和五八年の申請に係る検定処分の経過と内容

8 本件検定処分等の違憲・違法性

(一) 本件検定制度の違憲・違法性

(1) 表現の自由の侵害

(2) 学問の自由の侵害

(3) 学習・教育の自由の侵害及び不当な支配

(4) 適正手続違反

(5) 法治主義違反

(二) 本件検定処分等の違憲・違法性(総論)

(1) 適用違憲、違法

(2) 裁量権の逸脱

(三) 本件検定処分等の違憲・違法性(各論)

(1) 昭和五五年度検定

Ⅰ 親鸞(改善意見)

Ⅱ 侵略・進出(改善意見)

Ⅲ 草莽隊(修正意見)

Ⅳ 南京大虐殺(修正意見)

(2) 昭和五八年度検定

Ⅰ 朝鮮人民の反日抵抗(修正意見)

Ⅱ 日本軍の残虐行為(修正意見)

Ⅲ 七三一部隊(修正意見)

Ⅳ 沖縄戦(修正意見)

9 公務員の故意又は過失

10 損害

11 結論

二請求原因に対する認否等(被控訴人)

第三証拠

理由

第一当事者

一控訴人の経歴及びその著作

二文部大臣の職務権限

第二教科書検定制度

一教科書検定制度の沿革

二現行教科書検定制度の概要

1 教科書の意義

2 本件検定の権限

3 本件検定の組織

4 本件検定の検定基準

5 本件検定の手続と運営

第三本件各検定処分の経過

第四本件検定制度の違憲・違法性の主張について

一国の教育内容を決定する権能と教科書検定制度について

二教育の自由の侵害及び不当な支配の主張について

三表現の自由の侵害の主張について

四学問の自由の侵害の主張について

五法治主義違反の主張について

六適正手続違反の主張について

第五本件検定処分等における違憲・違法性の主張について

一適用違憲の主張について

二裁量権濫用の主張について

第六本件各検定処分の違法性の主張について

一昭和五五年度検定における裁量権濫用の主張について

1 親鸞に関する記述について

2 「日本の侵略」に関する記述について

3 草莽隊に関する記述について

4 南京事件に関する記述について

二昭和五八年度検定における裁量権濫用の主張について

1 朝鮮人民の反日抵抗に関する記述について

2 日本軍の残虐行為に関する記述について

3 七三一部隊に関する記述について

4 沖縄戦に関する記述について

第七昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否について

第八故意・過失及び損害

第九結論

別紙控訴人訴訟代理人目録

被控訴人訴訟代理人目録

訂正一覧表

控訴人当審最終準備書面抜粋その一、その二<省略>

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

家永三郎

右訴訟代理人

別紙控訴人訴訟代理人目録記載のとおり

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

右代表者法務大臣

三ケ月章

右訴訟代理人

別紙被控訴人訴訟代理人目録記載のとおり

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一一日から支払が済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  被控訴人の本件附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じて、これを五分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立て

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、一九〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

5  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

3  前項の部分に関する控訴人の請求を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

以下において、原判決の記載を引用する部分については、原判決の本文中で引用している「原判決別添書面」の記載を含む。また、引用箇所の記載を訂正する部分は、別紙「訂正一覧表」記載のとおりである(理由の記載についても同じ。)。

一  請求原因(控訴人)

1  当事者

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因1】)を引用する。

2  教科書検定制度の沿革

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因2】)を引用する。

3  本件検定制度の概要

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因3】)を引用する。

4  「新日本史」に対する従前の検定の実態

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因4】)を引用する。

5  昭和五五年の申請に係る検定(以下「昭和五五年度検定」という。)処分の経過と内容

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因5】)を引用する。

6  昭和五七年の正誤訂正申請(以下「昭和五七年度正誤訂正申請」という。)不受理の措置とその違憲・違法性

控訴人は、昭和五七年一二月二日、三省堂を通して、昭和五五年度検定済教科書「新日本史」二七六頁脚注4の南京大虐殺に関する「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」との記述を「中国軍のはげしい抵抗にもかかわらず、ついに南京を占領した日本軍は、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」と訂正することの承認を求める旨の正誤訂正申請書を文部省に持参したが、当時の文部大臣は同省の窓口担当職員をして、これを受理させなかった。

右受理の拒否は、従前の運用とは異なり、一貫性を欠く恣意的なものであって、その権限を濫用した違法なものである。またこのような不受理により、控訴人が根拠のある記述を正誤訂正により教科書に記述することを拒否されたことは、控訴人の思想・学問の自由の侵害に当たり違憲である。控訴人は、これによって多大な精神的苦痛を被った。

右のほか、この点に関する控訴人の主張の詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因6】)を引用する。

7  昭和五八年の申請に係る検定(以下「昭和五八年度検定」という。)処分の経過と内容

原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因7】)を引用する。

8  本件検定処分等の違憲・違法性

(一) 本件検定制度の違憲・違法性

学校教育法(昭和五八年法律第七八号による改正前のもの。以下同じ。)二一条、五一条、教科用図書検定規則(昭和五二年九月二二日文部省令第三二号。昭和五五年度検定については昭和五六年三月二三日同省令第五号による改正前のもの。昭和五八年度検定については昭和五九年三月二四日同省令第三号による改正前のもの。以下「検定規則」という。)、高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年七月一二日文部省告示第一三四号。昭和五五年度検定については昭和五七年一一月二四日文部省告示第一五一号による改正前のもの。以下「検定基準」という。)に基づく高等学校用の教科用図書の検定制度(以下「本件検定制度」という。)は、次のように、憲法、教育基本法に違反するものであり、したがって、そのような制度に基づいて行われた昭和五五年度及び昭和五八年度各検定処分及びそれに付された修正・改善意見等の検定意見(以下、前者を「本件検定処分」といい、後者を「本件検定意見」といい、本件検定処分と改善意見を付する行為を合わせて「本件検定処分等」と総称する。)も憲法、教育基本法に違反する。

(1) 表現の自由の侵害(憲法二一条違反)

本件検定制度は、憲法二一条一項が保障する表現の自由を侵害するものであるとともに、同条二項が禁止する検閲に該当するものである。

(2) 学問の自由の侵害(憲法二三条違反)

本件検定制度は、憲法二三条が保障する学問の自由を侵害するものである。

(3) 学習・教育の自由の侵害(憲法二六条等違反)及び不当な支配(教育基本法一〇条一項違反)

本件検定制度は、憲法一三条が保障する学習の自由、同条及び憲法二六条一項、憲法二三条がそれぞれ保障する教育の自由を侵害するものである。

また、本件検定制度は、教育行政が教育の自主性を害うことを禁じた教育基本法一〇条一項に違反する。

(4) 適正手続違反(憲法三一条違反)

本件検定制度は、国民の重大な権利・利益を制限する手続としては適正を欠くものであり、憲法三一条に違反する。

(5) 法治主義違反(憲法一三条、四一条、七三条六号違反)

学校教育法には教科書検定の組織法及び行政作用法についての具体的定めがなく、同法を教科書検定の根拠とする下位法令への委任は、憲法四一条、七三条六項による委任命令の範囲を超えるものであるから、本件検定制度は、憲法の法治主義の原則に違反する。

右(1)から(5)までの主張の詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>【請求原因8(一)】)を引用する。

(二) 本件検定処分等の違憲・違法性(総論)

(1) 適用違憲、違法

Ⅰ 本件検定制度が直ちに憲法、教育基本法に違反しないとしても、その解釈適用を誤ってなされた本件検定処分等は、憲法、教育基本法に違反する。

この点に関する控訴人の主張の詳細は、原判決別添(二)第二章 本件検定処分の違憲違法性、第三節 適用違憲と裁量権濫用の主張、第一 適用違憲の主張とその内容、同章第四節 本件検定処分の違憲違法性(<頁数省略>)の記載を引用する。

Ⅱ 本件検定処分等は検定基準を逸脱し、その結果、教育・学問の自由を侵害する。本件検定処分等についての個別の具体的、詳細な主張は、後記(三)の「本件検定処分等の違憲・違法性(各論)」に記載のとおりである(当審で加えられた主張)。

Ⅲ また、文部大臣の検定意見が、特定の思想的立場に立ち、それと異なる立場に立つ原稿記述を排除するものであるときは、狭義の思想審査に該当する。

このような狭義の思想審査は、国民(子ども)の思想統制を招くものとして、憲法二一条一項、二項の違反性が強度であり、また、子どもの学習の自由を侵害するものとして、憲法二六条、一三条の違反性が顕著であって、適用違憲というべきである。

それは、具体的には次のような点に存在する。

① 朝廷の権威を擁護しようとする思想的立場

「親鸞」及び「草莽隊」に関する原稿記述に対する検定意見にこの立場が現れている。

② 日本の侵略と日本軍の加害行為を強調したくないという思想的立場

「侵略」「南京大虐殺」「朝鮮人民の反日抵抗」「日本軍の残虐行為」「七三一部隊」及び「沖縄戦」に関する原稿記述に対する検定意見にこの立場が現れている。

③ 当時の政権ないし有力な勢力の行為を美化する思想的立場

右①②を総合すれば、検定意見は、当時の政権ないし有力な勢力の行為を美化する思想的立場に立って、それと異なる原稿記述を排除するものであって、狭義の思想審査に該当する。

この詳細は、別紙「控訴人当審最終準備書面抜粋その二」(<頁数省略>)記載のとおりである。

(2) 裁量権の逸脱

本件検定処分等が憲法、教育基本法の解釈適用を誤ってされたものでないとしても、本件検定処分等は、法により検定権者である文部大臣に付与された裁量の限界を逸脱し、検定権限を濫用したもので違法である。

すなわち、本件検定処分等は、教育内容に対する行政謙抑原則による裁量基準に違反しているし、そうでないとしても、伝統的裁量基準論による裁量基準にも違反している(後者は当審で加えられた主張)。

この詳細は、別紙「控訴人当審最終準備書面抜粋その一」(<頁数省略>)記載のとおりである。

(三) 本件検定処分等の違憲・違法性(各論)

(1) 昭和五五年度検定

Ⅰ 親鸞(改善意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第二 「親鸞」の記述への昭和五五年度検定、一から四(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(学問・教育の自由等の侵害)

(イ) 学問の自由の侵害

原稿記述は、直接には歴史学上高い評価を受けている古田武彦の研究によっているものであるから、このような十分な学問的根拠を有する記述に介入することは学問の自由を侵害するものである。

また、検定意見が依拠する「教行信証」後序の一節を「追憶」とする赤松説によったとしても、原稿記述と同趣旨の命題を導くことができるのであるから、検定意見は学問の自由に対する理不尽な介入・侵害というほかはない。

(ロ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、原稿記述には十分な学問的根拠があるにもかかわらず、検定意見を付することにより、執筆者に義務のない拒否理由書の提出を強要する行為は社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

Ⅱ 侵略・進出(改善意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第四 「侵略」の記述への昭和五五年度検定、一から三(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(思想・教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 思想の自由の侵害

文部大臣は、中国に対する日本軍の侵略という、日本の過去の否定的な歴史を児童、生徒の目から隠し、戦争を美化した教科書記述を強要する意図で本件検定意見を付し、原稿記述の変更を迫った。これは、教科書記述に対する特定の思想的立場からの介入であって、思想の自由の侵害である。

特に、憲法前文に掲げる平和思想に真っ向から背反した検定意見は、その面からも違憲・違法である。

(ロ) 教育・学問の自由の侵害

原稿記述は、十分な学問的根拠を有し、教育的配慮にも問題がないところ、このような記述に対し、執拗に変更を迫るのは、控訴人の教育・学問の自由に対する侵害であり、違憲・違法である。

(ハ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容の記述]2(表記・表現)(3)漢字、仮名遣い、送り仮名、ローマ字つづり、用語、記号などの表記は適切であり、これらに不統一はないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきであり、具体的には文章の意味に誤解を与えるような不適切な表記がされたり、同一の歴史的事実に対して何の説明もなく不統一な表記を用いるなどの場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、本来執筆者の選択に任されるべき歴史的叙述の際の用語の選択に関し、学問的に根拠のない見解を押し付け、控訴人に対して義務のない拒否理由書の作成・提出を余儀なくさせたものにほかならず、前記検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界をはるかに超えた介入であって、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ニ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、原稿記述には十分な学問的根拠があるにもかかわらず、従前昭和三八年以来何ら問題とされることのなかった記述に対し検定意見を付することにより、執筆者に義務のない拒否理由書の提出を強要する行為は社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、本件検定意見は違法である。

Ⅲ 草莽隊(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第三 「草莽隊」の記述への昭和五五年度検定、一から五(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(思想・教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 思想の自由の侵害

文部大臣は、明治維新の成立過程における「暗」の部分を殊更に隠し、明るい面ばかりを強調して教科書に書かせ、明治維新における一定の見方を維持するため、その一面のみを生徒に教え込もうとしている。

これは、教科書記述に対する特定の思想的立場からの介入であって、思想の自由の侵害である。

(ロ) 教育・学問の自由の侵害

本件原稿記述は、十分な学問的根拠を有し、教育的配慮にも問題がないところ、検定当局は、右学問的根拠に対する無知から記述内容に不当に介入し、結果的にその学問的判断を否定し、控訴人の教育・学問の自由を侵害した。

(ハ) 検定基準逸脱による学問・教育の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち誤記、誤植その他、検定時点での学説の状況からみて誰が考えても非常識と思われる見解を教科書に記述する場合に限られると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ニ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、原稿記述に十分な学問的根拠があるにもかかわらず、本件検定意見は、無知もしくは誤解から、後には、当初の検定意見に固執した結果からなされたもので、社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

Ⅳ 南京大虐殺(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第五 「南京大虐殺」の記述への昭和五五年度検定、一から三(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(思想・教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 学問・教育の自由の侵害

本件原稿記述は、十分な学問上の根拠と教育上の配慮とを有しているにもかかわらず、検定当局は、学問的根拠もなく、また日中戦争における日本軍の残虐性を隠蔽することを意図して、記述内容に不当に介入し、控訴人の学問・教育の自由を侵害した。

(ロ) 検定基準逸脱による学問・教育の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと。(3)一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきであり、具体的には、学問的に明らかに誤りであったり根拠のない記述に対してその修正を求める場合や、誰がみても一面的な見解であるとか、未確定な時事的事象を断定的に書き過ぎて、対象となる時事的事象の理解を妨げるような記述に対してその修正を求める場合がこれに該当する。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 本件原稿記述は、同じ記述が、昭和五二年度検定合格、昭和五五年度検定修正条件付合格、昭和五八年度検定合格と、曲折した経過をたどっている。また本件とほぼ同趣旨の他の教科書原稿が、本件検定の前後いずれも合格している。本件検定処分は、一貫性を欠く恣意的な処分で、社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

(ロ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(2) 昭和五八年度検定

Ⅰ 朝鮮人民の反日抵抗(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第七 「朝鮮人民の反日抵抗」の記述への昭和五八年度検定、一から三(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 教育・学問の自由の侵害

原稿記述は、十分な学問的根拠を有し、教育的配慮にも問題がないところ、このような記述に対し、執拗に変更を迫るのは、控訴人の教育・学問の自由に対する侵害であり、違憲・違法である。

(ロ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、原稿記述には十分な学問的根拠があるにもかかわらず、本件検定意見は、無知もしくは誤解から、後には、当初の検定意見に固執した結果からなされたもので、社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

Ⅱ 日本軍の残虐行為(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第八 「日本軍の残虐行為」の記述への昭和五八年度検定、一から三(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 教育・学問の自由の侵害

本件原稿記述は、十分な教育上の配慮と学問上の根拠を有しているにもかかわらず、検定当局が、右学問的根拠に対する無知から記述内容に不当に介入し、結果的にその学問的判断を否定した。

これは、教育・学問の自由の侵害である。

(ロ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調し過ぎているところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

仮に、検定意見にも相応の根拠があるとしても、執筆者と検定側双方にそれぞれ相応の根拠がある場合には、執筆者の執筆の自由を優先させることが、本来検定という多種多様な教科書を認める趣旨に合致する。したがって、執筆者に相応の根拠があるにもかかわらず、修正を迫る本件検定意見は裁量権を濫用している。

(ロ) また、原稿記述の内容は、検定当局もその事実自体を否定するものでなく、日本軍の強姦行為が際立った特徴を有するという資料及び文献は、検定当時も多く存在していたものである。この歴史的事実を記述させないことに積極的根拠は見出し難く、本件検定意見は、社会通念に照らしても著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

Ⅲ 七三一部隊(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第九 「七三一部隊」の記述への昭和五八年度検定、一及び二(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 教育・学問の自由の侵害

本件原稿記述は、十分な教育上の配慮と学問上の根拠を有しているにもかかわらず、検定当局が、右学問的根拠に対する無知から記述内容に不当に介入し、結果的にその学問的判断を否定した。

これは、教育・学問の自由の侵害である。

(ロ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、原稿記述には十分な学問的根拠があるにもかかわらず、本件検定意見は、無知からなされたもので、社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

Ⅳ 沖縄戦(修正意見)

イ 検定意見の違憲・違法性以外の主張については、原判決別添(二)第二章本件検定処分の違憲違法性、第四節本件検定処分の違憲違法性、第一〇「沖縄戦」の記述への昭和五八年度検定、一から三(<頁数省略>)の記載を引用する。

ロ 適用違憲(教育・学問の自由等の侵害)

(イ) 教育・学問の自由の侵害

本件原稿記述は、十分な教育上の配慮と学問上の根拠を有しているにもかかわらず、検定当局が、右学問的根拠に対する無知から記述内容に不当に介入し、結果的にその学問的判断を否定した。

これは、教育・学問の自由の侵害である。

(ロ) 検定基準逸脱による教育・学問の自由の侵害(当審で加えられた主張)

本件検定箇所に適用された検定基準「必要条件第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調し過ぎているところはないこと」による規制は、検定制度の目的、すなわち一定水準の維持、内容の正確性及び立場の中立・公正さ、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の観点からみて、真にその修正が必要とされる場合にのみ許容されると考えるべきである。

本件原稿記述に対する検定意見は、右検定基準によって許容される検定権限行使の範囲と限界を超えたものであり、控訴人の教育・学問の自由を侵害している。

(ハ) 思想審査

前記(二)(1)Ⅲ記載のとおり。

ハ 裁量権の濫用

(イ) 原稿記述は、十分な教育的配慮及び学問的根拠を有するものであり、少なくとも相応の根拠を有するものであるから、検定意見を付するには格別に強い根拠が要求されるところ、本件検定意見にはそのような根拠は存在しないのであるから、検定権限の行使に際して裁量をなし得る範囲を著しく逸脱しており、違法である。

(ロ) また、本件検定意見は、沖縄戦における県民犠牲の実態及びこれについての検定当時における学界の状況と著しくかけ離れていたことを考え合わせると、右意見は社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、この点からも、検定意見は違法である。

9  公務員の故意又は過失

本件検定処分等の行われた当時の文部大臣及びその補助者であった事務次官、初等中等教育局長、同局教科書検定課長、同課教科書調査官らは、本件検定処分等及び昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否について、その権限を行使するに当たり、その根拠法条である学校教育法二一条及びその下位法令が憲法に違反し、本件検定処分等及び昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否が違憲・違法であることを認識し又は認識すべきであったにもかかわらず、これを怠った故意又は過失により、違憲・違法な本件検定処分等及び昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否をした。

この点に関する控訴人の主張の詳細は、原判決別添(二)第三章 被告の損害賠償義務、第一 本件損害賠償の意味、同章第二 本件不法行為における文部大臣らの故意または過失(<頁数省略>)の記載を引用する。

10  損害

控訴人は、違憲・違法な本件検定処分等により、自己の学問研究の結果及び教育的配慮に基づく教科書記述を禁止され、また執拗にその修正を迫られるなどし、同様な昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否により、自己の学問研究の結果及び教育的配慮に基づく教科書記述の実現を妨げられ、その結果、多大の精神的苦痛を被ったが、それは合計二〇〇万円を下らない額をもって慰謝するのが相当である。

この点に関する控訴人の主張の詳細は、原判決別添(二)第三章 被告の損害賠償義務、第三 本件不法行為における原告の損害(<頁数省略>)の記載を引用する。

11  結論

よって、控訴人は、被控訴人に対し、国家賠償法一条に基づき、文部大臣の違法な検定権限の行使による損害賠償金二〇〇万円及びこれに対する履行期の後であることの明らかな訴状送達の日の翌日である昭和五九年二月一一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否等(被控訴人)

1  当事者【請求原因1】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

2  教科書検定制度の沿革【請求原因2】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。なお、<頁数省略>を次のとおり改める。

「(四) 同(四)の主張については、次に記載の経緯が正確であり、その限度では認めるが、その余は争う。

昭和二二年に制定された学校教育法(昭和二二年法律第二六号)において、「小学校においては、監督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書又は監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」(同法二一条一項)とされ、中学校についてはこの規定が準用され(同法四〇条)、「高等学校に関する教科用図書、・・・・その他必要な事項は、監督庁が、これを定める。」(同法四九条)とされ、同法一〇六条本文において、第二一条第一項、第四九条の監督庁は、当分の間、文部大臣とするとされた。

また、同年に制定された学校教育法施行規則(昭和二二年文部省令第一一号)において、「高等学校の教科用図書は、文部大臣の検定を経たもの又は文部大臣において著作権を有するものを使用しなければならない。」(同規則五八条一項)とされ、翌二三年に制定された教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)において、都道府県教育委員会の事務として「文部大臣の定める基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行うこと」(同法五〇条二号)及び「教科用図書は、・・・・・第五〇条第二号の規定にかかわらず、用紙割当制が廃止されるまで、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書のうちから、都道府県委員会が、これを採択する。」(同法八六条)とされた。

そして、昭和二八年に制定された学校教育法等の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一六七号)により、従前の学校教育法二一条一項中の「監督庁の検定若しくは認可」が「文部大臣の検定」に、「監督庁において」が「文部大臣において」に改められ、同法五一条中の「第二八条第三項」が「第二一条、第二八条第三項」に改められるとともに、教育委員会法五〇条二号及び八六条の各規定がいずれも「削除」と改められた。」

3  本件検定制度の概要【請求原因3】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

4  「新日本史」に対する従前の検定の実態【請求原因4】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

5  昭和五五年度検定処分の経過と内容【請求原因5】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

6  昭和五七年度正誤訂正申請不受理の措置とその違憲・違法性【請求原因6】について

昭和五七年一二月二日、三省堂社員が控訴人主張の正誤訂正申請書を文部省に持参したこと、文部大臣がこれを受理するに至らなかったことは認め、その余は争う。

被控訴人の認否等の詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

7  昭和五八年度検定処分の経過と内容【請求原因7】について

原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

8  本件検定処分等の違憲・違法性【請求原因8】について

本件検定処分等が違憲・違法であるとの控訴人の主張は争う。その詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

9  公務員の故意又は過失【請求原因9】について

いずれも争う。その詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

10  損害【請求原因10】について

否認する。その詳細は、原判決の事実摘示(<頁数省略>)を引用する。

第三  証拠<省略>

理由

本件訴訟は、控訴人が本件検定処分等について、教科書検定制度(本件検定制度)の違憲(表現・学問・教育・学習の自由の各侵害、適正手続違反、法治主義違反)及び違法(教育基本法違反)を、また、個々の検定処分について適用上の違憲(適用違憲)及び違法(裁量権の逸脱、濫用)を主張し、これらの主張を主たる争点とするものである。

教科書検定制度については、既に、控訴人が本件と同様に教科書検定制度の違憲・違法性を主張して提起した損害賠償請求事件について、最高裁判所の判決(最高裁判所昭和六一年(オ)第一四二八号平成五年三月一六日第三小法廷判決)がある。同判決において、本件における主たる争点と問題点を同じにする憲法及び法律の解釈、適用について判断が示されているところであり、更に右判断の主要な部分をなす、教育内容を決定する国の権能及び教育内容に対する国家的介入の限界等についても、右最高裁判所判決が判示中に摘示する最高裁判所判決(最高裁判所昭和四三年(あ)第一六一四号昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁)によって判断が示されているところである。

右二つの最高裁判所判決によって示された判断(右各判決が判示中に摘示するその他の最高裁判所の各判決中の判示部分を含む。)は、本件の前記主たる争点における憲法及び法律の解釈、適用に関する部分についてもそのまま妥当するものであり、当裁判所が本件についてこの判断と異なった解釈、判断をとるべきところはない。よって、以下の判断においては、右最高裁判所の各判決の判示するところに基づき、本件事案に即して当裁判所の判断を示すものである。

なお、判文中に右最高裁判所の各判決の判文をそのまま(本件に即して一部記述を改めるところがある。)引用するときは二重鍵括弧をもって示すことがあるほかは、特に右最高裁判所判決の判示部分であることを摘示しない。

第一当事者

一控訴人の経歴及びその著作

控訴人は、昭和一二年東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、以来、日本史の研究に従事し、昭和一六年から新潟高等学校教授を、昭和一九年から東京高等師範学校教授をそれぞれ歴任し、昭和二四年の学制改革により、昭和五二年まで東京教育大学教授として歴史教育に携わり、昭和五三年以来中央大学教授の職にあった。その間、昭和二三年に「上代倭絵全史」の著述により日本学士院恩賜賞を受賞し、昭和二五年に論文「主として文献資料による上代倭絵の文化史的研究」により文学博士の学位を得た。控訴人の著書には、右のほかに日本史及び歴史教育に関するものとして「日本道徳思想史」「日本近代思想史研究」「植木枝盛研究」「司法権独立の歴史的考察」「歴史と教育」「戦争と教育をめぐって」「歴史と責任」「太平洋戦争」などがある。控訴人は、戦後、文部省の日本史教科書の編纂委員に任命され、日本史教科書「くにのあゆみ」の編纂に従事し、昭和二七年以降は、三省堂発行の高等学校用検定教科書「新日本史」の執筆、改訂を行ってきた(以上の事実は、当事者間に争いがない。)。控訴人は、昭和五九年三月に中央大学教授を停年により退職した(控訴人本人尋問(原審)の結果)。

二文部大臣の職務権限

被控訴人は、教育行政を所管する行政機関として文部大臣を置く。文部大臣は、国の教育行政を分担管理する主任の大臣として(国家行政組織法五条)文部省の所掌事務(文部省設置法五条参照)を統括し、職員の服務について、これを統督する地位にあり(国家行政組織法一〇条)、主任の行政事務について、法律若しくは政令を施行するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて文部省令を発する権限を有し(同法一二条一項及び四項)、右の一般的権限のほか、学校教育法その他により教科用図書の検定等の権限を有するものである(学校教育法二一条、四〇条、五一条等)(当事者間に争いがない。)。

第二教科書検定制度

一教科書検定制度の沿革

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

二現行教科書検定制度の概要

1  教科書の意義

教科書の発行に関する臨時措置法(昭和四五年法律第四八号による改正後のもの。以下同じ。)によると、教科書とは「小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であって、文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するもの」と定められており、学校教育法二一条一項、四〇条、五一条によると、小学校、中学校及び高等学校では文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならないものと定められている。そして、同法二一条二項は、教科用図書(教科書)以外の図書その他の教材で、有益適切なものを使用することができるとしており、これは使用を義務付けられた主たる教材である教科書に対して副教材というべきものである。

以上の法律上の規定及び後記普通教育の目的(第四 一 国の教育内容を決定する権能と教科書検定制度について)に基づいて判断すると、教科書については次のような内容を備えることを要するものと解される。

(一)  普通教育を行う学校にあっては、児童、生徒の側において学校を選択することが限られているのであるから、教育を受ける権利、教育の機会均等を実質的に実現するためには、単に人種・社会的身分等による差別をなくし、経済的条件により就学の機会を奪われる者がないようにするだけでなく、学校間において教育内容を一定の水準に保ち、教育内容が均質であるようにしなければならない。そして、教科書は教育内容を構成する主たる教材であって、その使用が強制されるものであり、少なくとも、これを使用する児童、生徒の側においては選択の余地がないのであるから、国民の教育を受ける権利を保障し、教育の機会均等を図るうえにおいて、教科書は全国的に一定の水準を保つことが必要である。

(二)  また、国家的介入が抑制されなければならない(後記「国の教育内容を決定する権能」)のと同じ理由で、国以外からのどのような不当な介入も排除されなければならない。そのうえ、普通教育の場においては教育を受ける側の児童、生徒が心身ともに発達の過程にあって批判能力に乏しいことからすると、教科書は、中立・公正でなければならず(教育基本法八条二項)、偏った考え方や、特定の思想、信条に基づくものであってはならない。

(三)  教科書は、主たる教材として普通教育の目的を実現するための中心をなすものであり、その目的にそった内容を有しなければならない。同時に、その内容は子どもの発達段階に応じた理解能力に合わせて、かつ、理解しやすいように、教育的配慮に基づいて内容が選択され、組織的に配列されたものでなければならず、内容が正確で安定したものでなければならない。したがって、教科書を学術研究の結果を発表する場とすることは適当でなく、未だ一般に承認されていない新奇な説や、十分な裏付、研究を経ていない事実をもってする記述は適さない。

2  本件検定の権限

文部大臣の教科書検定の権限を直接定めた法律上の規定はないが、学校教育法五一条によって高等学校に準用される同法二一条一項は、高等学校においては文部大臣の検定を経た教科書を使用する義務があることを定めたものであり、右規定は、教科書について検定がなされるべきことを当然の前提とし、検定の主体が文部大臣であること、検定を経て初めて高等学校における教科書として使用することができるという検定の効果を定めたもので、本件検定の根拠規定とみることができる。

3  本件検定の組織

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

4  本件検定の検定基準

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

5  本件検定の手続と運営

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

第三本件各検定処分の経過

一昭和五五年度検定に至るまでの経緯

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

二昭和五五年度検定について

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

三昭和五八年度検定について

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

第四本件検定制度の違憲・違法性の主張について

一国の教育内容を決定する権能と教科書検定制度について

子どもは、将来成長して国並びに国内外における協同社会の構成員となるべき者であって、このような構成員として必要な一定水準の知識、健全な判断力、人格を備えることが子ども自身のためにも、また、協同社会にとっても必要であって、教育はこのような必要性にこたえることを目的としてなされるものであり(教育基本法一条(教育の目的))、『国は、子ども自身の利益の擁護のため、又は子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもに対する教育内容を決定する権能を有する』ものであり、適切にこれを行うべきことは国民に対する国の責務でもあるというべきである。したがって、普通教育において国が有する教育上の権能は単に人的、物的な面で教育環境を整えるといった消極的なものにとどまるべきものではない。

そして、教科書が教育において中心をなす主たる教材である(前示「教科書の意義」)以上、右の趣旨において教育の内容について決定する権能を有し責務を負う国が教科書の内容について教科書として備えるべき内容を有するか、適切でない内容を有しないかについて介入し得ることを否定すべき理由はない。

しかし、教育への国家的介入が、教育の名において一定の国家目的を押し付けたり、思想の統制に利用されたりする危険性を有することは、ひとりわが国のみならず広く歴史の示すところであるし、国が行う教育は、とかく画一的、統一的になる危険性を有し、その結果教育と密接な関連のある思想信条の自由、学問の自由、教育の自由等の基本的人権の侵害を生じる危険性を有することも過去の経験に照らして明らかなところである。

したがって、国が教育上の権能を行使するに当たっては、『教育内容への国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請され、殊に、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは許されない。』。

以上の考えに基づいて、以下、本件検定制度の違憲・違法性の主張について順次判断する。

二教育の自由の侵害(憲法二六条等違反)及び不当な支配(教育基本法一〇条一項違反)の主張について

本件検定処分等に適用された審査の具体的な基準は、さきに認定した(「本件検定の検定基準」。ただし、原判決<頁数省略>の引用)とおりであって、検定基準(<書証番号略>)及び高等学校教科用図書検定基準実施細則(昭和五四年七月一二日文部大臣裁定。<書証番号略>。以下「実施細則」という。)に規定されているが、これによれば、本件検定による審査は、単なる誤記、誤植等の形式的な点にとどまらず、「教育の目的との一致」「教科の目標との一致」「取扱方の公正」という基本条件の充足のほか、学習指導要領との適合性、生徒の心身の発達段階に対する適応性、選択・扱いの適切、組織・配列・分量の適切、記述・表現の正確性、表記・表現の適切等の必要条件の充足を審査するもので、検定が記述の実質的な内容、すなわち教育内容に及ぶものであることは明らかである。

しかし、国が普通教育の内容を決定する権能を有する趣旨が前記説示のとおりであり、教科書が主たる教材として普通教育の中心をなすものであるところからすると、文部大臣が、教科書が右普通教育の目的を遂行するに適する内容を備えているかについて審査することは、必要かつ合理的な行為であって、右趣旨にそって適切に行われる限り教育の自由を侵害するものではない。また、教科書には、教育の機会均等、教育を受ける権利を保障する趣旨からも、一定の水準の保持、内容の正確性、立場の中立・公正、学習に適するような教育的配慮などが必要とされるのであり(詳細は前示「教科書の意義」記載のとおり)、このような教科書に要求される内容を実現する点からも教科書検定には合理性と必要性がある。このことは、程度の差はあるにしても、基本的には高等学校の教科書の場合においても小学校、中学校の場合と異なるところはない。

そして、本件検定処分等に適用された右検定基準や実施細則はその規定の内容において、右教科書に要求される内容を実現するための基準を具体化したものと認められるから、その目的のために必要かつ合理的な範囲を超えているものとはいえないし、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含むものとも認められない。

また、『教師は、高等学校以下の普通教育の場においても、授業等の具体的内容及び方法においてある程度の裁量が認められるという意味において、一定の範囲における教育の自由が認められる』が、右の自由は、普通教育における教育目的の範囲内において有するものであるから、検定がその趣旨と目的にそって適正に行われる限り、検定によって教師の有する右自由が侵害されるということは考えられないし、教師の授業等における前記のような裁量の余地が奪われるものとも認められない。

更に、控訴人は、教育の自由の一環として、国民に教科書執筆の自由があると主張する。国が検定教科書制度を採用している以上、なに人も教科書を執筆し、教育に参加できるという意味において教科書執筆の自由を有するということができる。しかし、教科書について前記のような一定の内容が要求されている以上、一定の基準を設けて、検定により、これに適合するか否かを審査することは普通教育を適切に進めるうえで必要かつ合理的な規制であり、したがって、右の限度で執筆の自由が制限を受けることは、自由な出版物ではない教科書のもつ性格上当然のことであり、憲法二六条はそれ以上に主張のような自由を保障するものではない。

また、『教育行政機関が法令に基づき教育の内容及び方法に関して許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことは、必ずしも教育基本法一〇条の禁止するところではない。』のであって、教科書検定が右目的に適合し、必要かつ合理的な範囲にとどまる限り教育基本法一〇条に反するものともならない。

以上のとおりであるから、本件検定制度は、憲法二六条、教育基本法一〇条等の規定に違反するものではない。

三表現の自由の侵害(憲法二一条違反)の主張について

1  検定において、不合格とされた図書は、教科書としての発行の道が閉ざされることになる。しかしこれは、主たる教材として使用する「教科書」という特殊な形態としての出版ができないというにすぎないのであって、不合格となった原稿をそのまま一般図書として発行すること、『すなわち思想の自由市場に登場させることは、何ら妨げられるところはない』し、主たる教材である教科書として必要な条件を備えていないと判定された図書が普通教育で使用される教科書として出版する道を閉ざされることは、その制度の趣旨に照らしやむを得ないところであって、本件検定が表現の自由を侵害するものということはできない。

また、『憲法二一条一項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が右のような限度のものとして容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。』。教科書の意義、教科書検定制度の趣旨、目的については既に判示したとおりであって、これらに照らし、本件検定による表現の自由の制限は、合理的で必要やむを得ない限度のものというべきであって、憲法二一条一項の規定に違反するとはいえない。

2  控訴人は本件検定は憲法二一条二項にいう検閲に当たると主張する。しかし、『憲法二一条二項にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるものを指すと解すべきである。』。本件検定制度は、申請された原稿記述について、教科書として使用するについて必要な条件を備えているかを審査するものであって、発表を禁止する目的や発表前の網羅的一般的審査などの特質がなく、一般図書としての発行を何ら妨げるものではないから、検閲には当たらず、憲法二一条二項前段の規定に違反するとはいえない。

3  控訴人は、本件検定制度は、審査の基準が不明確であるから憲法二一条一項の規定に違反するとも主張している。なるほど、検定基準の一部には、包括的であって、具体的記述がこれに該当するか否か必ずしも明確であるといい難いものもある。しかし、検定基準の中に包括的規定を含むことは、規定の対象が広範であり、教育の専門的立場からの総合的判断を要する事項を多く含むところから避け難いところであり、殊更にあいまいな規定を設けたものとも認められない。しかも、『右検定基準及び実施細則並びにその内容として取り込まれている高等学校学習指導要領(昭和五三年文部省告示第一六三号、<書証番号略>)の教科の目標並びに科目の目標、内容及び内容の取扱いの各規定は、学術的、教育的な観点から系統的に作成されているものであるから、当該教科、科目の専門知識を有する教科書執筆者がこれらを全体として理解すれば、具体的記述への当てはめができないほどに不明確であるとはいえない。』。

以上のとおりであって、控訴人の右主張はいずれも採用し難く、本件検定制度が憲法二一条一項の規定に違反するとはいえない。

四学問の自由の侵害(憲法二三条違反)の主張について

教科書は、『教科の主たる教材として、普通教育の場において使用される児童、生徒用の図書であって、学術研究の結果の発表を目的とするものではな』い。もちろん、教科書は学問的成果に基づく記述から成るものではあるが、教科書として備えるべき要件に適合させるために記述の内容が制約を受けることは教科書の法律目的に照らし当然である。

したがって、本件検定制度が憲法二三条の規定に違反するとはいえない。

五法治主義違反(憲法一三条、四一条、七三条六号違反)の主張について

本件検定制度が法律上の根拠(学校教育法五一条、二一条一項)を有することは既に判示したとおりである。

また、本件検定の基準並びに審査の内容及び検定の手続は、法律ではなく、文部省令、文部省告示、文部大臣裁定である検定規則、検定基準、実施細則に規定されている。しかし、検定規則、検定基準、実施細則は、教科書の発行に関する臨時措置法二条一項、法律の委任を受けて定められた学習指導要領、更には教育基本法、学校教育法の関係条文から明らかな教科書の要件を審査の内容及び基準として具体化したものであるから、『文部大臣が学校教育法八八条の規定に基づいて、右審査の内容及び基準並びに検定の施行細則である検定の手続を定めたことが、法律の委任を欠くとまではいえない。』。

したがって、本件検定制度が憲法一三条等の規定に違反するとはいえない。

六適正手続違反(憲法三一条違反)の主張について

1  違憲性についての控訴人の主張の詳細は、既に事実摘示において記載した(原判決の記載を引用した部分を含む。)とおりであるが、この部分の控訴人の主張は多岐にわたるので判断の前提として主張を要約すると次のとおりである。

(一) 教科書検定により直接の利害関係を生ずる教科書著作者及び発行者に対しては、告知、聴聞の機会が十分に与えられなければならないところ、本件検定制度では、いずれも不十分である。また、検定側は聴聞の手続に時間的制約があることを利用して改善意見についても事実上修正を強いている。

(二) 検定処分の理由は文書で具体的に示されなければならないところ、理由は口頭で告知されるにすぎない。

(三) 教科書検定における判定機関は公正でなければならないところ、教科用図書検定調査審議会(以下「審議会」という。)の委員や教科書調査官の選任について中立・公正を保障する仕組が全く欠如している。

(四) 教科書検定における手続は公開されなければならないところ、審議会における審議内容、教科書調査官及び調査員の調査意見書及び評定書等は非公開とされている。

(五) 教科書検定における審査基準は、不公正ないし恣意的な運用を許さない明確なものでなければならず、また、あらかじめ被処分者や利害関係者等に告知されなければならないところ、本件検定当時の検定審査基準は、包括的、多義的、抽象的である。

2  判断

以下の判断において、その前提となる事実関係の認定の詳細及び証拠は、原判決の記載(<頁数省略>【教科用図書検定調査審議会】、同<頁数省略>【文部大臣への答申と文部大臣の決定】、同<頁数省略>【理由の告知、意見申立手続】、同<頁数省略>【改訂検定の手続】、<頁数省略>【審議会委員・調査員・教科書調査官の選任】)のとおりであるから、これを引用する。

(一)の主張について

行政処分については、当該行政処分が国民の権利義務に与える影響の内容、程度によって、『憲法三一条による法定手続の保障が及ぶと解すべき場合があるとしても、それぞれの行政目的に応じて多種多様であるから、常に必ず行政処分の相手方に告知、弁解、防御の機会を与えるなどの一定の手続を必要とするものではない。』。

本件検定による制約は、思想の自由市場への登場という表現の自由の本質的な部分に及ぶものではなく、学問の自由、教育の自由等控訴人が主張する憲法上の各種自由についても同様であるうえ、本件検定は教育の中立・公正、一定水準の確保等の高度の公益上の目的のために行われるものである。そして、手続、制度のうえにおいても、検定の公正を保つために、文部大臣の諮問機関として、教育的、学術的な専門家である教育職員、学識経験者等を委員とする審議会が設置され、文部大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われるのであり、文部大臣が、合格の条件として修正意見を付した場合には、それに対する意見申立ての制度があり、不合格の決定を行う場合には、不合格理由は不合格処分の前に申請者に通知すべきものとされ、それに対する反論聴取の制度もあり、検定意見の告知は、文部大臣の補助機関である教科書調査官が申請者側に口頭で申請原稿の具体的な欠陥箇所等を例示的に摘示しながら補足説明を加え、申請者側の質問に答える運用がされ、その際には速記、録音機等の使用も許されていて、申請者は右の説明応答を考慮したうえで、不合格図書を同一年度ないし翌年度に再申請することが可能であるのであって、これら一連の手続に照らすと、本件検定制度が行政処分として手続の適正を欠くものとは認められない。聴聞に時間的制約を生じることは、教科書の出版に時間的制約があることから避けることのできないことであるが、制度上聴聞の時間が当初から不足するよう設定されていると認めるに足りる証拠はなく、被控訴人が時間的制約を利用して修正を事実上強いていると認めるに足りる証拠もない。

(二)の主張について

行政処分においては、処分の内容と理由が告知されなければならないが、その程度、方法は処分の内容、態様に応じて、処分の相手方がこれを正確に理解し、対応できるものであれば足り、必ずしも常に書面をもってしなければならないものではない。

検定(修正)意見は、申請原稿について合格のための附款として付されるもので、その内容及びこれを付する理由は疑義を止めない程度に明確になされなければならないが、他方、検定意見はそれによって直ちに不合格とするのではなく、検定意見の補足説明、これに対する質疑応答を通じて行われる申請者側と検定側の意見交換により、検定意見の趣旨にそい、かつ、著者の意図をできる限り生かすようにして教科書の完成に向けて行われる作業の基礎になる性格も有しており、更に検定意見は、専門技術的観点から詳細に、かつ多数箇所に及ぶことが多く、告知を受ける側も専門家であることなどを考え合わせると、その伝達は、補足説明を加え疑義をただしながら行われる口頭告知に適するものと考えられる。そのうえ、前記認定のとおり、告知された内容について、申請者側が、速記、録音機等を使用して記録し、正確性を確保することも許されていることを合わせ判断すると、本件告知の方法は相当であり、主張は理由がない。

(三)の主張について

さきに認定した審議会委員、教科書調査官の選任に関する事実関係【審議会委員・調査員・教科書調査官の選任】によると、その選任方法は、必ずしも具体的、明確な基準は定められているとはいえないが、実際の運用において選任について中立・公正を保持するため事実上の基準を設けて相応の配慮がされており、制度自体において中立・公正を欠くとは認められない。またその運用の実際においても中立・公正を欠くような人選がなされたと認めるに足りる証拠は見当たらない。選任された委員、調査官について、申請者の立場から批判、不満が生じることは避け難いところであり、個々の委員、調査官について、客観的評価において、その学識、識見、能力等が疑問視されるようなことがあるとしても、そのようなことによって制度自体が中立・公正を欠くというものではない。

(四)の主張について

本件検定処分等において、審議会における審議過程並びに教科書調査官及び調査員の調査意見書、評定書等の調査資料が公開されていないことは当事者間に争いがない事実である。

行政手続の公開は、手続の公正さを担保するためと、処分の相手方のみならず一般国民に処分の内容を理解し納得させ、その信頼を得るために有用な制度であるが、それは、処分によって生じる影響の重大性と、公開によって生じる秘密保持、行政の能率に及ぼす影響等を総合的に考慮して決定されるべき立法政策上の問題であって、内部資料であるこれらの資料の公開が、憲法三一条によって当然に義務付けられるものではない。

(五)の主張について

検定審査基準が不明確とはいえないことは前記認定のとおりである。

第五本件検定処分等における違憲・違法性の主張について

一適用違憲の主張について

本件検定制度が、その制度の目的及び趣旨において必要性と合理性を有し、検定の基準がその目的を実現するために相当なものであって、検定の結果によって執筆等に一定の制約が生じることがあったとしても憲法の諸規定に違反するものでないことは既に判示したとおりである。

したがって、本件検定制度の趣旨に従って検定が行われたものである限り、その結果執筆者等に権利の制限が生じたとしても憲法違反の問題を生じる余地はない。また、検定基準の適用を誤るなど、判断の過程において裁量権の逸脱が認められる場合においては、違憲を論じるまでもなく処分が違法として責任が問われることになる。結局、検定としての形式を備え、一応検定の基準等を充足するものであっても、それが教育に対する不当な介入を意図するものであったり、処分の必要性に比較して、処分の結果生じる権利の制限が著しいなどのときに、適用上の違憲の問題を生じることが考えられることになるが、提出された証拠を検討しても、本件検定処分等を通じてそのような運用がなされたと認めるに足りる証拠はない。なお、個々の検定処分等については後に裁量権の濫用の項で判断する。

二裁量権濫用の主張について

1 本件検定制度の法律上の根拠、制度の趣旨、教科書に必要とされる内容(教科書の意義)についてはこれまで判示したとおりであり、これらによって明らかなとおり、文部大臣の検定権限は、普通教育の内容を決定する国の権能の行使として、憲法上の要請にこたえ、教育基本法、学校教育法の趣旨に合致するように行使されなければならないものであり、検定規則、検定基準、実施細則が右の憲法上の要請及び各法条の趣旨を具現したものであることも既に判示したとおりであるから、文部大臣の検定権限は、これらの検定関係法規に従い、その趣旨にそって行使されなければならない。

『そして、これらによる本件検定の審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量に委ねられるものというべきである。したがって、合否の判定、条件付合格の条件の付与等についての審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である。』

以上によって更に具体的に検討すると、修正意見についていえば、次のような基準に従って判断すべきである。

(一)  正確性に関する修正意見は、申請図書の記述の学問的な正確性を問題とするものであって、これは単に記述の正確性が重要であるばかりでなく、全国的に一定水準の教育内容を保持し、記述が中立・公正であることをも担保するうえで重要であり、『検定当時の学界における客観的な学説状況を根拠とすべきものであるが、検定意見には、その実質において、① 原稿記述が誤りであるとして他説による記述を求めるものや、② 原稿記述が一面的、断定的であるとして両説併記等を求めるものなどがある。そして、検定意見に看過し難い過誤があるか否かについては、右①の場合は、検定意見の根拠となる学説が通説、定説として学界に広く受け入れられており、原稿記述が誤りと評価し得るかなどの観点から、右②の場合は、学界においていまだ定説とされる学説がなく、原稿記述が一面的であると評価し得るかなどの観点から、判断すべきである。また、内容の選択や内容の程度等に関する検定意見は、原稿記述の学問的な正確性ではなく、教育的な相当性を問題とするものであって、取り上げた内容が学習指導要領に規定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照らして不適切であると評価し得るかなどの観点から判断すべきものである。』。

(二)  右の判断において、学界における定説、通説の存否、その内容に関する判断は、比較的客観的に定まるのに対し、内容の選択や内容の程度等に関する判断は、原稿記述の教育的な相当性を内容とするものであって、取り上げた内容が学習指導要領に規定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照らして不適切であるかなどの教育専門的、技術的観点からなされるもので、文部大臣の広い裁量が尊重されるものであるが、これらの判断は、検定基準、実施細則に則して判断すべきものであり、右基準等の解釈は、法規の解釈に準じて厳格になされるべきで恣意的、便宜的な運用は許されない。

2 検定意見のうちの改善意見については、検定規則にも定めがなく、教科用図書検定審査内規第1、3及び教科用図書検定審査内規の実施に関する細目第1、2において定められているが、成立に争いのない<書証番号略>及び証人木谷雅人の証言によれば、修正すべき箇所を改善意見として指摘し、その趣旨にそって記述を改めるよう説得したうえ、それに従った修正をしない検定申請者には、拒否理由を審議会に説明するために必要であるとして拒否理由書の提出を求める運用がなされていると認められる。

右の事実によると、改善意見の付与は何ら強制力を伴うものではなく、申請者に対して文部大臣が、説得によって行政の目的を実現しようとして行う、いわゆる行政指導に属する行為であると解される。そして、前記認定のように改善意見が修正意見に準じて、教科書としてその記述内容をよりよくすることを目的として付されるものであることを考えると、改善意見を付して記述内容の訂正を求めること自体は、その改善意見の内容が、教育内容に不当に介入するなど違法な目的によるものでなぐ、修正意見における基準に準じて、よりよい普通教育の実現に向けてなされるもので、かつ、強制にわたるなど申請者、著作者の任意性を害うことがない限り、違法ということはできない。そして、申請者側の意見を審議会に正確に伝える目的で拒否理由書の提出を求めることは、教科書検定手続が審議会及び申請者側の意見の伝達を教科書調査官に行わせるという方式をとっているところからすると合理性、必要性があり、それが強制にわたるものでない限り、検定の適正な運用のため許容される行為というべきである。

第六本件各検定処分の違法性の主張について

一昭和五五年度検定における裁量権濫用の主張について

1  親鸞に関する記述について

(一) 原稿記述及び改善意見

(1) 三省堂の申請に係る本件教科書用原稿本(<書証番号略>、以下「本件原稿本」という。)七七頁本文の「法然・親鸞らは朝廷から弾圧をうけたが、親鸞はこれにたいし、堂々と抗議の言を発して屈しなかった。」との記述(以下原稿本の記述を「原稿記述」という。)に対し、文部大臣は、親鸞が教行信証の中で朝廷を批判しているのは、後日、当時を追憶する中でそのように述べているにすぎないのに、原稿記述はあたかも親鸞が弾圧を受けたときに朝廷に対して批判を行ったように誤解されるので表現が不適切であるとの理由で、「堂々と抗議の言を発して屈しなかった。」との部分を変更するよう求める旨の改善意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷滋教科書調査官(以下「時野谷調査官」という。)は理由告知において、右改善意見の理由につき、検定基準(社会科に関するもの。以下同じ。)のうちの、必要条件である、第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと。」に照らし記述を変更するよう求める旨説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人は、右改善意見に反論して従わず、原稿記述のまま最終記述となった(当事者間に争いがない。)。

(三) 右最終記述に至るまでの経緯

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

(四) 検討

右改善意見は、原稿記述の中心である親鸞が抗議行動をしたことの記述自体を問題にするものではなく、抗議行動をした時期の記述について記述の不適切あるいは不正確を指摘しているものであるところ、<書証番号略>、証人梅原隆章及び同時野谷滋の各証言によれば昭和五五年度検定当時、改善意見を支持する見解としては京都大学文学部教授赤松俊秀著「親鸞」(吉川弘文館発行、人物叢書、昭和三六年初版。<書証番号略>)があり、この書物は入手が容易で教育関係者間でも広く読まれており、権威ある書物であると考える見解が強かったと認められるから、原稿記述が不正確ないし不適切であると判断して右のような改善意見を付したことは相当な理由があったものというべきである。

右改善意見が、親鸞の抗議行動の記述自体を規制しようとしたものでないことは既に認定のとおりであり、その他、右改善意見が特に朝廷に関する記述について規制しようと意図してなされたと認めるに足りる証拠はない。

しかも、控訴人は右改善意見に従わず、原稿記述のとおりの最終記述を実現しているのであり、その間の経緯についてさきに認定したところによって検討しても、検定側において特に改善意見を直接的にも間接的にも強制したような事実を認めることはできない。なお、改善意見を付した箇所の数が非常に多いなど一定の場合には審議会における審査において評定記号が一段階下に調整されることがあり得る(教科用図書検定審査内規の実施に関する細目第2、1、(3)。<書証番号略>)が、昭和五五年度検定においてそのような調整がなされ、同年度の本件検定結果に影響が生じたあるいは生じるおそれがあったと認めるに足りる証拠はないし、このような不利益が生じることを示し改善意見に応じることを強制したような事実も認められない。

以上のとおりであるから、右改善意見を付したこと及びその後の検定側の行為については、許容された範囲を逸脱するものとは認め難く、違憲・違法な行為ということはできない。

なお、右改善意見に応じることを拒絶した控訴人に対し、二度にわたって拒否理由書の提出を求めて提出させたことも、理由書の提出を求めることに合理的な理由があることは既に認定したとおりであり、過度に不必要な行為を強いたと認めるに足りる証拠はないから、許容された範囲内の行為というべきである。

2  「日本の侵略」に関する記述について

(一) 原稿記述及び改善意見

(1) 本件原稿本二七六頁本文の「中国では、西安事件をきっかけとして、国民政府と共産党の抗日統一戦線が成立し、日本の侵略に対抗して中国の主権を回復しようとする態度が強硬にあらわれてきた。」との記述に対し、文部大臣は、「侵略」という用語は否定的な価値評価を含む用語であり、自国の行為につき、このような否定的な価値評価を含む言葉を教科書の中で用いることは、次の世代の国民に対する教育上好ましくないので、例えば「武力進出」というような言葉を用いるべきであるとの理由で、「侵略」の用語を変更するよう求める旨の改善意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、原稿本の他の箇所においては、「列強の中国進出」「西欧列強のアジア進出」との記述があり、日本の中国への「武力進出」という表現も二例ほどあるから、「日本の侵略」という記述についても、他の例のように「武力進出」などと、より客観的な意味で表記・表現を統一してはどうかとしたうえ、検定基準のうちの、必要条件である、第1[教科用図書の内容の記述]2(表記・表現)「(3)漢字、仮名遣い、送り仮名、ローマ字つづり、用語、記号などの表記は適切であり、これらに不統一はないこと。」に照らして記述を変更するよう求める旨説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人は、右改善意見に反論して従わず、原稿記述のまま最終記述となった(当事者間に争いがない。)。

(三) 右最終記述に至るまでの経緯

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

(四) 検討

まず、右改善意見の理由のうち、「侵略」の用語が否定的な価値評価を含むものであり、教科書に、自国の行為についてこのような価値評価を下す記述をすることは教育上好ましくないとする点については、「侵略」の用語が否定的価値評価を含むことは右意見のとおりであり、自国の行為に対する価値評価が未だ定まらないのに否定的価値評価を下す記述や、殊更強調し過ぎる記述が、教育上好ましくないことは容易に理解することができるが、右改善意見が自国の行為に対する否定的価値評価を含む記述がすべて教育上好ましくないとする趣旨であればその合理的根拠は明確でないというべきであり、右原稿記述程度の記述が何故に教育上好ましくないとされるかについては理由の説明が十分でなく、理解が困難である。次に、改善意見が、客観的記述を求め、他の記述との統一を求める点については、教科書の性格上、自国の行為についての否定的価値評価を下すような重要な事項について、これに異論、異説があり、あるいは異論、異説のあることが予想される場合には、できる限り価値評価を伴う記述を避けて客観的事実の記述を求めることには相当の理由があり、しかも、同じ教科書中の同じような事象に対する記述について、客観的記述である「武力進出」の用語が用いられている箇所があるところから、客観的記述に統一すべきであるとすることに、合理的理由があることは否定できない。しかも、それが、強制力を伴う修正意見としてなされたのであればともかく、改善意見に止めていることを考えれば、右改善意見を付したことは、未だ許容される行為の域を逸脱したものということはできない。

右改善意見の処理の過程において特に検定側に強制にわたるような事実があったと認められないことはさきに最終記述に至るまでの経緯において認定した事実に照らし明らかである。控訴人がその対応において、明確に改善意見に従うことを拒否し、任意に修正に応じることが殆ど期待できない状況であったにもかかわらず、数次にわたって、口頭で修正を求めたり、拒否理由書を提出させた点において、検定側の対応はやや執拗に過ぎたきらいはあるが、改善意見を告知した時野谷調査官は、「ご再考願えないか。」「何かお願いできないか。」といった程度のことを言っているにすぎず、未だ許容された説得の域を逸脱しているとまではいえない。

右認定したところからすると、右改善意見を付した行為及びその後の検定側の対応が意図的に控訴人の原稿記述を抑制するなど適用上憲法違反に当たる行為であるということはできない。

3  草莽隊に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 本件原稿本二〇〇頁本文の「朝廷の軍は年貢半減などの方針を示して人民の支持を求め、人民のなかからも草莽隊といわれる義勇軍が徳川征討に進んで参加したが、のちに朝廷方は草莽隊の相楽総三らを「偽官軍」として死刑に処し、年貢半減を実行しなかった。」との記述に対し、文部大臣は、「朝廷は年貢半減を約束していない。相楽総三が勅諚を得たうえで、年貢半減の方針を打ち出したとする史料は不確実なものである。この記述ではあたかも朝廷が自ら約束しながら実行しなかったように読める。」との理由で、「年貢半減」の方針を示した主体を「朝廷の軍」とした部分を再検討する必要がある旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、本件原稿は、「朝廷の軍」を主語として、これに何らの限定も付していないので、朝廷の軍が全国的に年貢半減を実施する方針を示したにもかかわらず、その方針を実行しなかったように読めるが、草莽隊の一つである相楽らに率いられた赤報隊については、基礎史料である「赤報記」の史料批判さえ行われておらず、基礎的事実の確定は今後の考察に待つという段階にあって、朝廷が相楽総三に対し年貢半減についての勅諚を与えたにもかかわらず、これを実行しなかったとは断定できないし、その他、朝廷の軍が全国的に地域や時間の限定なしに年貢半減の方針を示したという史料はどこにもなく、今日明確に言えることは征討軍の先導隊と称して従軍した相楽総三の率いる赤報隊が旧幕府領については当年年貢を半減する旨の高札を掲げたということにとどまるのであり、したがって、朝廷の軍が朝廷の政策方針として年貢半減を実施する方針を全国的に示したのに実行しなかったと断定するような原稿本の記述は不正確であるので、検定基準のうちの、必要条件である、第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)「(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人が右修正意見に従った結果、最終記述は次のとおりになった(当事者間に争いがない。)。

「徳川氏追討の軍には、人民のなかから草莽隊といわれる義勇軍も参加した。その一つである相楽総三らのひきいる赤報隊は旧幕府領の当年の年貢半減などの方針を高札に掲げて人民の支持を求めたが、朝廷方は進軍途中の相楽らを「偽官軍」として死刑に処した。年貢半減は実行されず、」

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

なお、被控訴人は当審において、年貢半減令は相楽総三とつながりの深い西郷隆盛の軍略として出されたものであると記述している証拠として<書証番号略>(「西郷隆盛 下」井上清)、<書証番号略>(「明治維新の精神構造」芳賀登)、<書証番号略>(「明治維新」森谷秀亮)、<書証番号略>(「歴史に学ぶ」奈良本辰也)を提出しているが、右のうち<書証番号略>は、相楽総三と西郷隆盛の結びつきについて、西郷が相楽らに民衆工作に当たらせた旨を記述しているものの、相楽らが正規軍である東海道鎮撫総督の指揮下に入ったことも記述しており、その後出された年貢半減令がどのような経路でどこから出されたかについては特に記述していないのであり、<書証番号略>は、年貢半減令が相楽の西郷に対する建議により「西郷路線にそって成された」とみてよいと記載するものの、その発令手続が、どのようにしてどこから出されたかについては記述がなく、「官軍」が長門、安芸、備前でも年貢半減をうたったと記述しており、<書証番号略>は<書証番号略>の記述と概ね同じであって、<書証番号略>については主張の点について直接記述するところは見当たらない。以上のとおり、これらの証拠も、年貢半減令が「朝廷の軍」と関わりなく、相楽総三あるいは西郷隆盛によって勝手に出されたとする学説の存在することを裏付ける資料ということはできず、かえってこれらの証拠中にも年貢半減令が相楽総三の独断によって行われたというようなものでないことを記述したところがあり、これらの証拠をもってしても前記認定を左右するに足りない。その他当審における証拠調の結果をもってしても右認定を変更すべきところはない。

(四) 検討

この原稿記述に対する修正意見は、原稿記述の正確性に関するもので、かつ記述が誤りであるとして他説による記述を求めるものである。

歴史的事実の真否、学説の優劣についてはここで判断すべきことではないが、右学界の状況について認定した事実に照らせば、修正意見は、未だ公にされていない、教科書調査官の個人的見解あるいは個人的調査、研究の結果に基づくものというべきで、昭和五五年度検定当時の学界においては、それにそう見解は存在していなかったのに対し、原稿記述は、当時の学界において特段の異説もなく、広く学界に受け入れられていたところによって記述されているものというべきである。

被控訴人は、定説とされる学説の主たる根拠資料である赤報記の記述中に、慶応四年一月一二日に相楽総三の年貢半減の建白に対して、太政官から坊城大納言を通じて年貢半減を認める勅諚書が渡された旨の記載があるところ、当時坊城大納言なるものは存在せず、坊城姓の者が大納言になったのはその三か月後の同年四月であって、赤報記の記載は誤りであり、右定説もまた根拠がないとして検定意見の正当であることを主張する。

赤報記が、事件の生じた時に記録されたものではなく、後日記録されたもので著者もわからないものであって(証人勝部眞長、同山口宗之の各証言)、記述中に被控訴人が指摘する右のような客観的事実に符合しない記載があることは否定できないところである。しかし、赤報記が右のような点を考慮してもなお赤報隊に関する有力な資料と評価されているのが学界の通説であることはさきに学界の状況について認定したところから明らかである。そして右のような誤りがあることをもってその記載のすべてについて資料としての価値が否定されるものでもなく、右のような指摘によりこれまでの定説が学界で改められたと認めるに足りる証拠もないし、右定説とされる学説が、赤報記の記述のみによっているものでないことも学界の状況について認定した事実によって明らかである。

教科書の記述が、歴史上の事実について必ずしも絶対的な真実を探究してされるものではなく、学界における通説とみられるような見解があるときはこれによるべきもので、検定意見が記述の誤りを指摘して他説による記述を命じるときもこの考え方によってされるべきものであることは既に教科書の意義及び検定基準について判示したとおりである。検定意見が、一方で、教科書の記述が未だ通説とは認められないとして通説による記述を求める修正意見を付する運用をしながら、他方で、通説によってされた記述に対して、通説とはなっていない特異な見解を取り上げてこれを真実であるとして修正を命じるようなことは、到底許されないことといわねばならない。

そして、控訴人が、右修正意見に従った結果、最終記述は、「徳川氏追討の軍には、人民のなかから草莽隊といわれる義勇軍も参加した。その一つである相楽総三らのひきいる赤報隊は旧幕府領の当年の年貢半減などの方針を高札に掲げて人民の支持を求めたが、朝廷方は進軍途中の相楽らを「偽官軍」として死刑に処した。年貢半減は実行されず、」となったが、その結果、年貢半減の高札が赤報隊の独断によって掲げられたと理解されるような記述になり、昭和五五年度検定当時の学界の一般的な見解に明らかに反するもので、控訴人の記述の意図にも反するものになっているといわざるを得ない。

最終記述が、理由告知において述べられた時野谷調査官の意見の趣旨にそってなされたものであることは、時野谷調査官の理由告知において示された前記意見と最終記述を対比して明らかである。

以上によって判断すると、右修正意見は、原稿記述の理解又は欠陥の指摘において、その根拠となるべき学説状況の認識、理解について看過し難い過誤があった結果付されたもので、裁量権の範囲を逸脱した違法なものというべきである。

なお、右に判示したところをもってしても、右修正意見を付した行為が、殊更朝廷に関する事実の記述を抑制し、事実を枉げる意図でなされたものと断ずることはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右修正意見を付したことをもって適用上の違憲に当たるということはできない。

4  南京事件に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 本件原稿本二七六頁の脚注4の「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」との記述に対し、文部大臣は、このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺をしたというように読み取れるとの理由で、このように解釈されないように表現を改める必要がある旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、南京事件についての研究の現状からみて、原稿記述は、「南京占領直後」という発生時期の点、「軍の命令により日本軍が組織的に行った」という殺害行為の態様の点及び「多数」という数の点において、いずれもこのように断定することができないので、検定基準のうちの、必要条件である、第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)「(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと。」及び「(3)一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したうえ、右理由告知の過程において、「軍が組織的に行った」と読み取られることを避けるため、「多数の中国軍民が混乱に巻き込まれて殺害された」あるいは「混乱の中で日本軍によって多数の中国軍民が殺害されたといわれる」というように書き改めるよう示唆し、申請者側がこれに応じなかったところ、内閲調整の段階で右のように「混乱の中で」を書き加えるように求めたことが認められる。

(3) 控訴人は、時野谷調査官が理由告知の際に告知した理由中には、本件原稿記述が軍の命令によって行われたと読み取れるという指摘はされていなかったにもかかわらず、本件訴訟において初めてそのように主張するに至ったものであって、被控訴人は検定の際告知した修正意見の理由を本件訴訟において変更したものであると主張する。なるほど、<書証番号略>によれば、時野谷調査官の理由告知には軍の命令によって行われたように読み取れることを指摘した形跡はないが、右理由告知において、軍が組織的に虐殺をしたと読み取れる旨の指摘をしたことは当事者間に争いのない事実であり、「軍の命令によって」というのと「軍が組織的に」というのとは、表現は違うがその趣旨は同じに理解されるから、処分の理由が変更されたというのは当たらない。

(二) 最終記述

控訴人が右修正意見に従った結果、最終記述は次のとおりになった(当事者間に争いがない。)。

「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

右学界の状況に基づいて判断するに、右検定の当時において、「南京大虐殺」と呼ばれる事象について、日本軍が南京を占領した前後を通じて、正規軍間の戦闘行為によらずに、多数の中国人捕虜、非戦闘員である中国人市民が日本軍(上部機関からの指揮、命令によって組織的に行動したものであるか否かは別として)によって殺害されたとの事実は、殺害された者はさほどの数ではなかったとする少数の見解があるにしても概ね否定し難い事実とされていた(修正意見の理由告知の過程で、検定側も「多数」の点に問題があると指摘しながらも、多数の中国軍民が犠牲になった事実を否定するものでないと述べ、時野谷調査官が示唆した記述及び最終記述にも「多数」の記述が残されていたことは前示のとおり。)が、殺害された者の実数、殺害の対象者、殺害の時期、殺害の理由、態様などについては未だその全容が把握されるに至っていたとはいえない状態で、捕虜、民兵、一般人など無抵抗な者を無差別に殺害したとする説、抵抗する軍人、民兵などの抵抗を排除するため殺害したとする説、軍が組織的に、あるいは黙認して殺害させたとする説、軍の上部機関からの指令により捕虜を多数殺害したとする説、中国軍民の抵抗が激しかったため激昂した兵士が上官の制止を無視して殺害に及んだとする説など多様で、それぞれ異なった資料、見聞に基づいて諸説がなされているが、いずれの説に対しても、客観的資料、証拠を示してこれを否定するような説は乏しく、それぞれの説が、南京大虐殺と呼ばれている事象の多様なそれぞれの一面を取り上げて明らかにしているものではあるが、一つの説をもって、その全容を明らかにしているものとはいえないというほかない。

なお、当審において検定当時既に出版され、あるいは公にされていた資料として新たに提出された右事実に関する証拠に、<書証番号略>(「上海時代下」松本重治)、<書証番号略>(「日寇暴行実録 姦」中国国民政府軍事委員会)、<書証番号略>(「南京虐殺」ピーター・ニールセン)、<書証番号略>(「南京における日本軍の『死の舞踏』」チャイナ・フォーラム)、<書証番号略>(「南京における日本軍の虐殺・強姦」アリソン書記官)、<書証番号略>(「中国におけるアメリカ人財産(アリソン事件)」グルー駐日アメリカ大使)、<書証番号略>(「ベイツの回状」サール・ベイツ)、<書証番号略>(「アメリカのキリスト者へのベイツの回状」サール・ベイツ)、<書証番号略>(「中国での八〇年」ジョージ・A・フィッチ)、<書証番号略>(「日中戦争」臼井勝美)、<書証番号略>(「日本の歴史」林茂)、<書証番号略>(「昭和史」遠山茂樹ほか)、<書証番号略>(「南京事件」洞富雄)、<書証番号略>(「支那事変陸軍作戦」防衛庁防衛研修所戦史室)、<書証番号略>(「日中戦争史資料」洞富雄編)、<書証番号略>(「万有百科大事典」小学館)、<書証番号略>(「昭和史」遠山茂樹ほか)などがあるが、これらの証拠も、さきに認定した学界の状況にそうもので、右認定を変更すべきところはないし、当審における証人尋問の結果及び意見書(<書証番号略>)によっても、右認定を変更すべき点はない。

(四) 検討

(1) 本件原稿記述のうち、殺害行為が行われた時期の点に関しては、修正意見により、原稿記述の「占領直後、・・・殺害した。」という記述が最終記述では「占領し、・・・殺害した。」と改められ、「直後」の記述が削除された。その結果、殺害時期については占領に至る過程、占領直後、占領後相当期間のいずれをも含むことになり、「占領直後」という原稿記述から読み取れる控訴人の記述とは異なった内容になっている。原稿記述によると、南京大虐殺と呼ばれる大量虐殺行為のすべてあるいは大部分が占領直後という限られた時間のうちに集中して行われたように読み取れるが、さきに認定した学界の状況によっても、南京における中国軍民の殺害が占領直後に限定されるという事実が資料によって裏付けられていたとは到底認められず、かえって、占領前における殺害や占領後相当期間にわたる殺害の事実が指摘されていることが認められる。したがって、文部大臣が前記正確性(1)、(3)の観点から殺害時期の点に関し修正意見を付したことには、何ら違法な点はないというべきである。

(2) 次に、右時期に関する点を除き、原稿記述が最終記述のとおり書き改められた点について検討する。

右最終記述が、時野谷調査官の示唆及び内閲調整の段階の指示で「混乱の中で」を書き加えるよう求めたことによるものであることは、さきに「原稿記述及び修正意見の内容」において認定した事実及び最終記述の内容によって明らかなところである。

そこでまず、修正意見が、原稿記述において殺害行為の主体が日本軍とされている点を指摘して、「この記述では日本軍が組織的に上部機関からの指揮、命令により(組織的行為として)殺害行為を行ったと読み取れる」としている点について検討する。

一般に「日本軍」という用語は、単に日本軍を構成する個々の将兵をいうのではなくその集団をいうのに用いられるものであるが、組織、命令系統などを含めた軍全体としての組織的集団のみをいうものでもなく、末端の小部隊あるいは集団で行動する複数の兵士までを含め多様に用いられることは語義上あるいは日常の用語上明らかなところである。そして、用語の意味が多様であるときは文全体の文意、前後の文脈等によって個別に理解されるべきものである。

右原稿記述が「日本軍は首都南京その他の主要都市や主要鉄道沿線などを占領し、中国全土に戦線を広げたが、」という本文の記述の脚注として付されたものであるからといって、記述の対象が本文と脚注で異なる以上、そこで用いられている用語も、それぞれの文意、文脈の中で理解されるのが当然である。「占領」の主体が上部機関の指揮、命令によって行動する組織としての日本軍であることは行為の性質上当然であるが、そうであるからといって、行為の性質を異にする「殺害」の主体も同じになるとはいえないところであって、戦闘行為によらない殺害行為のように、通常上部機関の指揮、命令によって行われることが異常な行為と考えられる場合に、単なる「軍が」という記述が「上部機関からの指揮、命令により軍が」と読み取られる危険性が強いものとは考えられない。このように理解しない限り、最終記述において、「激昂裏に」の記述が加えられたとはいえ、殺害の主体として「日本軍」が用いられていることが首尾一貫しないことになるといわなければならない。

もっとも、検定当時の学説において、南京大虐殺と呼ばれる殺害行為の中には、日本軍の何らかの組織的行為があったと指摘する説が有力になされていたことは前記学界の状況において認定したとおりであるが、右説によっても、南京大虐殺と呼ばれる殺害行為のすべてあるいは大部分が軍の組織的行為であるとはいえないことも右学界の状況について判示したとおりであるから、原稿記述によって、検定意見が指摘するように、南京大虐殺と呼ばれる行為のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮、命令による組織的行為であると誤って読み取られる危険性が多少でもあるとすれば、これを取り除くために適切な記述に書き改めさせること自体は違法というに当たらないし、書き改められた内容が正当なものであれば違法の問題は生じないことになる。

そこで、修正意見によって生じた最終記述の内容について検討する。

なるほど、原稿記述になかった「激昂裏に」の記述が加えられたことによって、殺害が激情に駆られて行われた行為であると理解される(「激昂裏に」の語は直接には「占領し」にかかる語として用いられているが、同時に「殺害」にもかかるものと読み取れるし、そのように読み取られることを意図して検定側が右記述を加えさせたことは前記認定によって明らかである。)点において、殺害が軍の上部機関からの指揮、命令による組織的行為であると読み取られる危険性が極めて弱くなったということができる。しかし、原稿記述のままであっても、殺害が軍の上部機関からの指揮、命令による組織的行為と読み取られる危険性が、検定側が懸念するほどのものと認められないことは既に指摘したとおりであるうえ、最終記述にも殺害行為の主体として「日本軍」の記述が残され、程度の差こそあっても同じ危険性が残されていることからすると「激昂裏に」を加えさせたことが正確性を保持するうえからどれほど適切であったか疑問であるというほかない。

しかも、修正によって生じた最終記述によると、「激昂裏に日本軍が中国軍民を殺害した」ことをもって南京大虐殺と呼ばれる事象を説明する趣旨の記述になるところ、さきに認定した学界の状況に照らすと、南京大虐殺については殺害の実数の把握とともに殺害の対象、理由、態様が重要視され、諸説がなされており、その中には前記のとおり、中国軍民の抵抗が激しかったため激昂した日本軍兵士が上官の制止をきかずに殺害した旨の説もあり、否定し難い程度に資料の裏付けがある事実とみられるが、それが南京大虐殺といわれる事象の一面を説明するにすぎないものであることも前記認定のとおりであって、少なくとも検定当時の学界の状況が、激昂して殺害したという事実をもって南京大虐殺といわれる殺害行為のすべてあるいはその大部分を説明づけられるような状況にはなかったというべきである。結局原稿記述が時期の点を除けば、殺害の原因、態様に触れずに、単に「殺害した」という客観的な事実に即して記述しているのに対し、未だ全容が把握されていたとはいえない殺害の理由、態様について、「激昂裏に」という記述を加えさせることによって、南京大虐殺と呼ばれる事象を明らかにするについて、重要な点についてその一面的な事実のみをもってそのすべてを説明するものであるかのような記述に改めさせた結果、検定基準が排除している「一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりする」結果を招来させたもので、右修正意見を付したことにはその判断の過程において看過し難い重大な誤りがあり、裁量権の範囲を逸脱した違法なものというべきである。

その結果、殺害行為に対する原稿記述は、南京大虐殺について重要な部分の一つである殺害行為の態様、理由の点において、原稿記述が意図するところと全く異なった記述に改めさせられる結果を生じたものというべきである。

なお、右修正意見が、南京事件そのものの存在を否定したり、その記述を差し止める趣旨で付されたものとまで認めることができないことは右修正意見の内容及び時野谷調査官の理由告知の経過に照らし明らかであり、その他修正意見を付したことに裁量権の逸脱にとどまらず、適用上の違憲に当たる事実があったと認めるに足りる証拠はない。

二昭和五八年度検定における裁量権濫用の主張について

1  朝鮮人民の反日抵抗に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 昭和五五年度検定済教科書二三〇頁本文の「一八九四(明治二七)年、朝鮮に東学党の乱がおこると両国は出兵したが、乱鎮定後の内政をめぐって両国の関係はさらに悪化し、同年八月ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいた。」との記述を、「一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいたが、戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」と書き変えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、「朝鮮人民の反日抵抗」とは何を指すのかわからない。たとえ特殊な研究に発表されていても、啓蒙書によって十分に普及している事柄以外はとりあげるべきではないとの理由で、「戦場となった」以下を削除する必要がある旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、右の「反日抵抗」がいわゆる「東学の乱」の再挙について述べたものではないとするならば、著者のいう「反日抵抗」がたびたび起こったという記述が、高度な学術的研究の成果に基づくものであるとしても、まだ学界に紹介されていない一説といわざるを得ないので、高校教師にとっても理解困難であり、授業に利用し得る事柄ではないし、もし、「反日抵抗」が東学の乱の再挙について述べたものであるとするならば、東学の乱の初発を記述しないで再挙のみを記述するのは生徒に混乱を与える結果となるので、検定基準のうちの、必要条件である第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人が右修正意見に従った結果、最終記述は次のとおりになった(当事者間に争いがない。)。

「一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争となり、その翌年にわたる戦いで日本軍は勝利を重ねたが、戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった。」

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

更に、当審で右原稿記述に関し、右検定当時既に公刊されていた図書、資料として提出された証拠に、<書証番号略>(「アジア現代史」歴史学研究会編)、<書証番号略>(「朝鮮近代革命運動史」朝鮮民主主義人民共和国科学院歴史研究所編)、<書証番号略>(「韓国通史」韓欣)、<書証番号略>(「日韓併合小史」山辺健太郎)、<書証番号略>(「日清戦争」藤村道生)、<書証番号略>(「朝鮮の歴史」朝鮮史研究会編)、<書証番号略>(「新書東洋史」梶村秀樹)、<書証番号略>(「朝鮮史入門」朝鮮史研究会編)、<書証番号略>(「新朝鮮史入門」朝鮮史研究会編)などがあり、これらを検討してみると、<書証番号略>の各書証は既に原審で提出済みのものと記述を同じくするものであるにすぎず、その余のうち<書証番号略>には直接右記述に関して触れるところはなく、その余のものは、一八九四年秋の農民の反乱について、それが反封建、反侵略というような視点から記述されているが、東学との関連については必ずしも各記述の内容が一致しているとはいえず、その呼称においても、東学党の春の蜂起を「第一次」と呼ぶものがあったり、甲午農民戦争と呼ぶものがあったり、あるいは農民戦争と呼ぶのは正しくないとして甲午農民反乱と呼ぶべきであるとするものがあったり様々であるが、東学党の乱あるいは甲午農民戦争の呼称を用いるのが一般である点において、原審の右認定を改めるべきところはないと認められる。

(四) 検討

右学界の状況で認定した中塚教授の見解及びこれを支持する見解(特に朴教授の著作)を前提とすれば、本件原稿記述が東学党の乱の再挙を含むいわゆる甲午農民戦争の秋の蜂起(第二次農民戦争)のみならず、その前後に起きた組織的・散発的なあらゆる形態での朝鮮人民によるすべての反日抵抗を指すものであることが理解できる。

しかしながら、これまで一般に一八九四(明治二七)年の秋に朝鮮で生じた民衆の蜂起について、東学党の乱の初発に対する再挙という呼称で説明され、あるいは甲午農民戦争の秋の蜂起の呼称で記述されているところからすれば、原稿記述のように、従来の呼称によって呼びならわされているこれらの事象との関連性等について何らの説明を加えることなく、単に「朝鮮人民の反日抵抗」という記述だけにとどめるときは、それがどのような視点から、どのような歴史的事象を指すのか分明でないばかりでなく、一般に東学党の乱(再挙を含む。)あるいは甲午農民戦争と呼ばれている事象の理解との間に混乱が生じることが懸念されるというべきである。この点は、教科書が主たる教材として使用されるものであることを考えるならば、これを使用する高校生の知識、理解力のみならず、控訴人のような専門の研究者ではない一般の高等学校の教師に期待される知識、理解力を前提として考えるべきである。

また、本件原稿記述は、従来の記述にはあった、いわゆる東学党の乱の初発の記載を削除し、前記のように改訂しようとしたものであるところ、前記認定のとおり従前は歴史上の事象としては初発が有名であり、証人内田弘幸の証言によれば、多くの高校教師は初発を日清戦争の契機として教えており、生徒も教科書を基本として学習をしていると認められるから、原稿記述のように初発の記述を削り、単に人民の反日抵抗という事実のみを抽象的に記載した場合には、教育現場において教師、生徒双方の側に授業、学習の際に困難が生ずるという修正意見の指摘は十分理由のあるところと認められる。

そして、右修正意見が、原稿記述は教師、生徒にとって理解が困難なものであり、学習指導を進めるうえに支障があるというものであることは前記認定のとおりである。

そうであるとすれば、右修正意見は教育の専門技術的立場からの判断に基づいてなされたものであり、検定基準の適用及びその前提となる原稿記述に対する理解、学界の状況の認識の判断のいずれについても相当なものというべきであり、違法というべき点はない。

なお、控訴人は、本件修正意見は、日清戦争の侵略戦争としての側面を教科書に反映させたくないとの意図から出たものであり、修正意見に従って原稿記述を改めたことにより、朝鮮人民が反日抵抗に立ち上がったという歴史的事実が歪められたと主張する。

しかし、右修正意見のように、原稿記述のうちの「戦場となった」以下の削除を命じたとしても、朝鮮人民の反日抵抗に関する記述が削除されるのであって、それが直ちに日清戦争の侵略戦争としての側面を隠蔽することになるとは理解できない。もっとも、右修正意見が、朝鮮人民の反日抵抗の記述について、書き改めるのではなく削除を命じている点だけをとらえると、「朝鮮人民の反日抵抗」の事実の記述を一切認めないかのようにとられないでもない。しかし、その後の理由告知における時野谷調査官の説明(前記認定のとおり)によると、右修正意見は、内容を明確にして正しく理解できるようにさせる趣旨のものであって、反日抵抗の事実の記載を認めない趣旨とは認められない。最終記述がどのような経緯によって決定されたものか証拠を検討しても明らかでなく、検定側の指示によって最終記述の内容が決定したことを認めるに足りる証拠はない。その他証拠を検討しても、検定側において一八九四(明治二七)年の秋に生じた朝鮮人民の反抗についての記述自体を規制しようとして右修正意見を付したものと認めることはできず、控訴人の主張は理由がない。

また、右に認定したところから判断すると、修正意見を付したことがその適用上違憲に当たるような意図、目的のもとになされたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  日本軍の残虐行為に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 昭和五五年度検定済教科書二七六頁の脚注4の「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」との記述を「日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。南京大虐殺とよばれる。」と書き変え、また二七七頁の「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との脚注1に、「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはずかしめるものなど、中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」と付け加えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、軍隊において士卒が婦女を暴行する現象が生ずるのは世界共通のことであるから日本軍についてのみそのことに言及するのは、選択・配列上不適切であり、また特定の事項を強調し過ぎるとの理由で、「日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。」「婦人をはずかしめるものなど」「貞操」の各部分を削除する必要がある旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、「中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。」あるいは「婦人をはずかしめるもの」といった記述については、このような事実があったことは認められるけれども、このような出来事は人類の歴史上、どの時代のどの戦場にも起こったことであり、控訴人もその著書「太平洋戦争」において「古代以来の世界的共通慣行例から日本軍もまたもれるものではなかった。」とする認識を持っているようであるから、特に日本軍の場合だけこれを取り上げるのは選択と扱いの上で問題があるので、検定基準のうち、必要条件である第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」及び「(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調し過ぎているところはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人が右修正意見に従った結果、最終記述は次のとおりになった(当事者間に争いがない。)。

① 二七六頁脚注4「日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには暴行や略奪などをおこなうものが少なくなかった。南京大虐殺とよばれる。」

② 二七七頁脚注1「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったりして、中国人の生命・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

なお、当審で提出された右記述に関する証拠のうち、<書証番号略>によると、南京占領の際の日本軍将兵の中国人女性に対する貞操侵害行為は、南京占領当時駐在していた米国人宣教師、外国人駐在記者、外国大使館員らによって見聞され、事件発生当時から非難すべき暴虐な行為として本国に報告され、あるいは報道や出版物によって公表され、日本軍の残虐行為として、軍民に対する殺害行為とともに非難されていたことが認められる。その他の点においては、当審における証拠調の結果によっても、原審の右認定を改めるべき点はない。

以上の学界における状況に基づいて判断すると、右検定当時における研究者間においては、南京占領に際して日本軍将兵が中国人女性に対して行った貞操侵害行為については、行為の性質上その実数の把握は困難であるものの、その数の点においてもまた行為の態様においても、特に非難されるほど多数で、残虐であったとするのが支配的な見解であり、多数の中国軍民に対する殺害行為とともに南京大虐殺と呼ばれて日本軍の南京占領に際して生じた特徴的な事件としてとらえ論じられているのが一般的であると認められる。検定側においても、南京占領に際し、日本軍兵士によって多数の中国人女性に対する貞操侵害行為が行われたことを認めていることは修正意見の内容に照らし明らかなところである。

なお、右学界の状況によって検討しても、中国における戦場全般を通じて、日本軍兵士が中国人女性に対し貞操侵害行為を行い、その数が異常に多数であったことが指摘されていることが認められるものの、華北などの戦場における貞操侵害行為に関して、特にその具体的な事実について記述した資料がないばかりでなく、華北の戦場において中国における他の戦場の場合と比べて、特に取り上げて記述すべきほど特徴的に貞操侵害行為が頻発しあるいは残虐であったとする有力な説は見当たらない。

(四) 検討

右争いがない事実及び認定した事実を総合すると、検定意見が原稿記述に対して修正を命じる理由としているところは、「軍隊において士卒が女性を暴行する現象が生ずるのは世界共通のことであり、南京占領に際して生じた女性に対する貞操侵害行為のような行為は人類の歴史上、どの時代のどの戦場においても起こったことであるから、日本軍についてのみそのことに言及するのは選択配列上不適切であり、特定の事項を強調し過ぎるもので、注の選択が学習指導を進めるうえで不適切であり、特定の事項を特別に強調し過ぎていて記述の扱いに調和が取れていない」というのであると理解される。

検定意見が指摘するように、戦闘行為に加わった士卒の女性を辱める行為が古今東西を通じて共通の現象であるとしても、これが非難されるべき非人道的行為であることは論をまたないところであり、個人の人格、人権の尊重が特に重要視され、女性に対する貞操侵害行為が厳しく非難されるとともに、戦時における捕虜、非戦闘員の人権の保護が国際的な規範として重視されるようになった近代における戦争とそれ以前の戦闘行為とを同一に扱うことに合理性がないことは明らかであり、行為の態様、与えた被害の内容を考慮しないで一律に世界共通の現象として論じることに合理的根拠があるとは到底考えられない。

以上のとおり、修正意見が、戦闘行為に加わった兵士の女性に対する貞操侵害行為が古今東西共通の現象であるという理由のみで、これを教科書に記述することがすべての場合に検定基準の「選択・配列上不適切」で「特定の事項を強調し過ぎる」というのであれば、合理的理由を欠き、右検定基準について、解釈、適用を誤ったものというべきである。

また、右修正意見が、南京占領に際して行われた日本軍兵士の中国人女性に対する貞操侵害行為が、数及び行為の態様等の点で通常の戦闘行為において生じる程度のものであって特に取り上げるべきほどのものではなかったとの事実認識のもとに付されたのであるとすると、南京占領に際して行われた日本軍兵士の中国人女性に対する貞操侵害行為が、中国軍民に対する虐殺行為とともに特に非難される行為として指摘され、研究の対象とされるほどに残虐な行為で、南京占領の際に生じた特徴的事象と認識されているのが支配的見解であると認められることはさきに認定した学界の状況に照らして明らかである。これに対して、貞操侵害行為の実数が正確に把握されていないところから、その件数は一般にいわれているほど多いものではなく、他の戦争の事例と比較して特に多いものではないとする説があることも既に認定したとおりであるが、右説は、種々論じているものの、結局は、その実数が把握できないから一般にいわれる程多数ではないというにすぎないもので、客観的資料を示してなされているものとは認められない。

歴史的事象について教科書に記述するときに、これを構成する主要な事実について記述することは、当該歴史的事象を正しく理解させるうえで重要であり、このことは後記「沖縄戦に関する記述について」において検定側も指摘するところである。したがって、南京占領の際の特徴的事象としてとらえられている中国人女性に対する貞操侵害行為の記述の削除を命じる修正意見は、この点からしても、正当な根拠を欠くというべきである。また、原稿記述の貞操侵害行為に関する記述は、南京大虐殺と呼ばれる歴史上の事象の一部を構成する事実として簡潔に記載されており、その記述の表現、内容の点からみても、他の記述に比較して特に貞操侵害行為のみを強調し過ぎているともみられない。

以上のとおりであって、南京占領の際の記述に関する右修正意見は、原稿記述の内容について、学説状況の認識を誤ったか、検定基準の解釈適用を誤ったもので、その判断過程に看過し難い誤りがあるというほかなく、裁量権の範囲を逸脱した違法なものというべきである。

華北などに関する記述(二七七頁脚注1)に対する修正意見については、この点に関する学界の状況についてはさきに認定したとおりであり、この事実に照らすと、華北などにおける日本軍兵士による中国人女性に対する貞操侵害行為が、特に記述すべき程に特徴的な事実であるということはできないというべきであるから、この点の記述について、特にこれを強調し過ぎると指摘して、削除を命じる修正意見を付した判断に看過し難い誤りがあるとは認められない。

なお、以上判示したところによっても、日本軍の加害行為について意図的に隠蔽しようとして、本件修正意見を付したと断ずることはできず、適用において違憲であるとも認められない。

3  七三一部隊に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 昭和五五年度検定済教科書二七七頁の脚注1の「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との記述に、「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」と書き加えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、「七三一部隊のことは現時点ではまだ信用にたえ得る学問的研究、論文ないし著書が発表されていないので、これを教科書に取り上げることは時期尚早である。事実関係が、必ずしも確立していないので、もう少し固まったものが出るまで待つべきだ。」との理由で、追加記述全部を削除する必要がある旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、検定基準のうちの、必要条件である第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人は、右修正意見に従った結果、申請した追加記述部分全部を削除した(当事者間に争いがない。)。

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)を引用する。

(四) 検討

教科書には、さきに認定した教科書の意義に照らし、歴史上の事実については、反対の見解、資料等による検討を経て、ある程度評価の定まった事実を記述することが要求される(例えば、検定基準中には、必要条件第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)(3)「未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと。」との規定もある。)。

前記学界の状況において認定のとおり、本件検定処分当時における七三一部隊に関する研究は、早くからその存在に言及した出版物等はあったものの、飛躍的にその事実の解明が深化したのは、本件検定の二年前である昭和五六年五月に発行された常石敬一著「消えた細菌戦部隊」及び森村誠一による同年七月から新聞「赤旗」に連載のうえ同年一一月(第一巻)、昭和五七年七月(第二巻)、昭和五八年八月(第三巻)と順次単行本として発行された「悪魔の飽食」三部作によってであり、しかも右「悪魔の飽食」はそれが元とした資料を学術書のような形式では明らかにしておらず、他の研究者がその記述内容の真実性を検証するには困難があったといわざるを得ない。

このような当時の学界の状況に基づいて判断すると、本件検定処分当時においては、七三一部隊に関する研究は、未だ資料が発掘、収集され、事実関係が次第に解明されつつある段階にあって、発表された事実関係も十分な検証がなされていたとはいえないというべきもので、教科書に記載するには信頼するに足りる資料が不十分であったといわざるを得ない。

したがって、内容の選択において時期尚早であるとして右修正意見を付した判断過程に、看過し難い過誤があったと認めることはできない。

また、右認定に照らすと、右修正意見を付したことが適用において違憲であるとも認められない。

4  沖縄戦に関する記述について

(一) 原稿記述及び修正意見の内容

(1) 昭和五五年度検定済教科書二八四頁の脚注1の「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた。」との記述を「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなかった。」と書き変えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、沖縄県における沖縄県民の犠牲については、沖縄戦の記述の一環として、県民が犠牲になったことの全貌が客観的に理解できるよう記述し、最も犠牲者の多い集団自決を加える必要があるとの理由で、その記述を加えるべきである旨の修正意見を付した(当事者間に争いがない。)。

(2) また、右争いのない事実並びに<書証番号略>、証人時野谷滋の証言及び弁論の全趣旨によると、時野谷調査官は理由告知において、右修正意見の理由について、検定基準のうちの、必要条件である第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(2)学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」及び「(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調し過ぎているところはないこと。」に照らし記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明したことが認められる。

(二) 最終記述

控訴人が、右修正意見に従った結果、最終記述は次のとおりになった(当事者間に争いがない。)。

「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が、砲爆撃にたおれたり、集団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには日本軍のために殺された人びとも少なくなかった。」

(三) 学界の状況

原判決記載(<頁数省略>)のとおりであるから、これを引用する。

当審において提出された証拠を検討しても右認定を変えるべきところはない。

以上の学界の状況に基づいて判断すると、本件検定当時における沖縄戦に関する学界の状況は、沖縄戦において死亡した県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑により処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で、集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることは概ね異論のないところであり、その数については諸説があって必ずしも定説があるとはいえないが、多数の県民が戦争に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘するのが一般的見解であったと認められる。

(四) 検討

「日本軍のために殺された」という本件原稿記述は、「殺された」という文言や、それに先行する「戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには」という記述を合わせて読むと、日本軍によって直接に、そうでないとしても意図的に殺害されたというのが通常の理解と考えられる。そうであるとすると、本件原稿記述は、日本軍による住民犠牲の中の住民射殺ないし斬殺その他の殺害行為の事実を記述したものではあっても、この記述に集団自決が含まれると読み取ることは困難である。

集団自決が沖縄戦における県民の死亡者のうち最も多数であったという修正意見が指摘するような事実を認めるに足りる確たる証拠はないが、集団自決が多数生じ、沖縄戦の特徴的事象として研究者間において指摘されていることは前示のとおりであり、修正意見も沖縄戦を理解するうえにおいて死者の中で最も数の多い集団自決の事実を記載することが学習指導を進めるうえで必要であるという、教育的専門的立場による判断に基づいて右修正意見を付したことが明らかであるから、右は前記検定基準の適用につき文部大臣の裁量の範囲内に属することで違法はないというべきである。

最終記述と、控訴人の原稿記述とを比較してみても、控訴人が改訂により加えようとした「なかには日本軍のために殺された人も少なくなかった」という記述も、最終記述において、「なかには日本軍のために殺された人びとも少なくなかった。」と、殆どそのままの記述が残されているし、最終記述中の集団自決に関する部分も、自決が自発的に、あるいは崇高な精神によってなされたと受け取られるような記述は一切なく、むしろ、「自決に追いやられた」「非業の死をとげた」という記述になっていて、修正によって控訴人の原稿記述の意図が殊更枉げられたとみられるところはないというべきである。

また、以上判示したところに照らすと、右修正意見を付したことが適用上違憲であるとも認められない。

第七昭和五七年度正誤訂正申請受理拒否について

三省堂の従業員が、昭和五七年一二月二日、昭和五五年度検定済教科書「新日本史」について、同教科書二七六頁脚注4の「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」との記述を「中国軍のはげしい抵抗にもかかわらず、ついに南京を占領した日本軍は、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」と訂正することの承認を求める正誤訂正申請書(<書証番号略>)を文部省に持参したが、文部大臣がこれを受理するに至らなかったことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実及びさきに引用した原判決認定の事実(<頁数省略>)と原本の存在及び<書証番号略>、同証言、証人岸継明の証言を総合すると、正誤訂正申請をなし得るのは、発行者のみに限定されていること(検定規則一六条)、昭和五七年度正誤訂正申請は、三省堂が申請者となって申請しようとしたものであったこと、文部省の窓口担当職員は、提出された申請書を検討した結果、申請の趣旨内容が、正誤訂正の要件を満たしていないと判断し、その旨申請書を持参した三省堂の職員(出版局長久司高朗ほか)に説明して申請について再考を促し、これを受理するに至らなかったことが認められる。

控訴人は、申請の受理を拒否されたことにより損害を被ったと主張するが、控訴人は、この申請の申請者ではなくまた検定規則上も申請者にはなり得ない(同規則一六条)のであるから、受理の拒否と控訴人主張の損害との間に相当の因果関係があるとは認められない。

また、控訴人は、申請の受理拒否により著作者である控訴人の申請記述が容れられず、そのために控訴人に損害が生じたとも主張するが、そもそも正誤訂正の制度は狭義の検定とは異なり、単に原始的及び後発的な過誤記述を訂正するというものに過ぎず、著作者の意図する記述を教科書に反映させることを予定しているものではないのであるから、これも正誤訂正に関して生ずる損害ということはできない。正誤訂正について、従来制度本来の趣旨に反した処理があったとしても、それによって当然に本件申請について制度本来の趣旨に反した受理を要求し得るものではない。

したがって、控訴人の主張は、受理拒否の有無、その違法性等その余の点について判断するまでもなく、失当である。

第八故意・過失及び損害

一教科書検定は、被控訴人の機関である文部大臣がその権限に基づいて実施するものであることは前記のように争いがなく、本件各処分のうち前記違法と認定した各検定意見の付与(昭和五五年度検定における草莽隊に関する記述、南京大虐殺に関する記述の一部及び昭和五八年度検定における日本軍の残虐行為に関する記述の一部)について、文部大臣の権限の行使につき裁量権の範囲を逸脱した違法があると認める以上、右権限の行使につき、少なくとも文部大臣に裁量権の行使について過失があったものと認められるから、時野谷調査官その他の補助者の関与、過失の有無について検討するまでもなく、国家賠償法一条により被控訴人にその賠償の責任が生じる。

二控訴人が、右違法と認定した各検定意見の付与により、原稿記述の主要な部分において、その意に反して記述を改めさせられ、記述を制限されたことにより、教科書著作者として意図したところに反する記述を強いられ、あるいは意図した記述を果たせなかったことは右に認定したところによって明らかであり、その結果精神的苦痛を被ったと認められる。

そこで損害額について考えるに、控訴人は損害の総額として二〇〇万円を請求しているところ、控訴人が主張する不法行為は、昭和五五年度の新規検定における修正意見の付与、同検定における改善意見の付与、昭和五七年における正誤訂正申請の不受理、昭和五八年度の改訂検定における修正意見の付与に分けられ、それぞれは被控訴人の行為の性質、行為の時期を異にし、独立した行為というべきであるから、少なくとも右各行為ごとに一個の不法行為とこれによる損害の発生を主張し、請求するものと解するのが相当である。しかし、控訴人は、それぞれの不法行為に分けて特定した金額の請求をしていないから、控訴人の合理的意思を推測して、請求の総額二〇〇万円は右四個の行為に按分して各五〇万円ずつを請求するものと解する。

よって右金額の範囲内で損害額について検討するに、前記認定の諸事情、特に記述を改めさせられた内容を考慮して、認容すべき損害の額は、昭和五五年度検定に関しては、二〇万円、昭和五八年度検定に関しては、一〇万円とするのが相当である。

第九結論

よって、本件控訴は一部理由があるので、被控訴人に前記損害額合計三〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五九年二月一一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を命じることとして、原判決を主文のとおり変更し、本件附帯控訴は理由がないものとして、これを棄却し、仮執行宣言の申立てについては相当でないからこれを付さないこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官谷澤忠弘 裁判官松田清)

別紙控訴人訴訟代理人目録

弁護士 森川金寿

外四五名

別紙被控訴人訴訟代理人目録

弁護士 秋山昭八

外三名

指定代理人 青野洋士

外一〇名

別紙(控訴人当審最終準備書面抜粋)<省略>

別紙

訂正一覧表

(【 】内の記載は訂正箇所ないし訂正方法を表したもので、傍線部分は加入を示す。)

箇所

訂正前

訂正後

A四頁二行目

文学部

文学部国史学科

A六頁五行目

学校教育法

学校教育法(昭和五八年法律第七八号による改正前のもの)

A一三頁末行

旬刊「世界と日本」

「じゅん刊・世界と日本」

同末行から

次頁初行

「新憂うべき教科書問題」

「新・憂うべき教科書の問題」

A五九頁一二行目

昭和五八年九月八日

昭和五八年九月一六日

A六二頁

七行目から八行目

原稿本二三〇頁本文

原稿本二三〇頁本文、昭和五五年度検定合格本同頁

A六五頁末行

原稿本二七六頁脚注

原稿本二七六頁脚注4、昭和五五年度検定合格本同頁

A六九頁四行目

原稿本二七七頁脚注

原稿本二七七頁脚注1、昭和五五年度検定合格本同頁

A七四頁五行目

原稿本二八五頁脚注

原稿本二八五頁脚注1、昭和五五年度検定合格本二八四頁

A九三頁四行目

三条、

【削除】

A一〇九頁四行目

八日

一六日

同末行

原告

三省堂

B五頁六行目

原告

三省堂

B一〇頁一〇行目

第四八三

第四八三、第六二四、第七四八

B一一頁末行

認められる。)、

認められる。)、第七四九、第七五二号証、

B一二頁四行目

同岸継明

同岸継明、同浪本勝年

B一三頁初行

その他の各種学校

その他各種の学校

B一九頁末行

五八条

五八条一項

B二〇頁

九行目から一〇行目

都道府県知事に属する。

都道府県知事に属する。

―昭和二四年法律第二七〇号私立学校法七条二号

同一一行目

同法

教育委員会法

B二一頁初行

と定められた。

と定められ、私立学校については前記私立学校法附則一三項により「教科用図書の検定に関する事務は、用紙割当制が廃止されるまでは、文部大臣が行う。」

と定められた。

同八行目

教科用図書検定規則

改正教科用図書検定規則

同九行目

四月

二月

同一〇行目

文部省告示

文部省告示(同年同省告示第一二号)

これに先立ち

昭和二三年四月これに先立ち

B二二頁四行目

教科用図書検定委員会

教科用図書検定調査会

同五行目

同委員会

同調査会

B二三頁

二行目から三行目

その取扱いについては

その取扱いについては、

六行目から七行目

学習指導要領一般編及び各教科編

学習指導要領一般編及び同年中には各教科編

B二六頁

一一行目から一二行目

ソ連・中共

ソ連中共

B二七頁二行目

三年用下巻

三年用下巻(実教出版)

B二八頁九行目

中教審

教科用図書検定調査審議会検定調査分科会

B二九頁二行目

一〇回

数回

同四行目から五行目

小・中学校の社会科のみ改訂、(3) 昭和三一年

【削除】

同一一行目

適用のもの)

適用のもの)など

B三〇頁一二行目

えらばれており

選ばれており

B三五頁

九行目及び一〇行目

わが国

我が国

B三六頁二行目

配慮する

配意する

同八行目

宮沢

宮澤

B五八頁一一行目

検定基準第一章

検定基準第三章

B六八頁末行

まず

まず主として

B七〇頁末行

添付すべきこととしている

添付すべきこととしている(実施細目一章一節第2、3)

B七一頁一一行目

提出すべきものとされている

提出すべきものとされている(実施細目一章一節第2、2)

B七二頁

五行目、九行目、末行

誤植又は誤字

誤植又は脱字

同八行目

立合い

立会い

B七五頁

五行目から六行目

審議会

審議会教科用図書検定調査分科会

B七六頁初行

するものとされている

するものとされている(教科用図書検定調査審議会規則一四条、教科用図書検定調査分科会の部会の設置および議決事項の取扱に関する規定三条、いずれも乙第六号証)

B七八頁九行目

ものは

ものは、

B八二頁五行目、

六行目、八行目

調査者

調査員

B九三頁九行目

から一〇行目

検定不合格となることはないとされるが、

それのみでは検定不合格となることはないとされるが、一定の場合には検定調査審議会における審査において評定記号が一段階下のものに調整されることがあり得るうえ、

B九四頁七行目

「、但し」から

同九行目「あること」まで

【全文】

【削除】

B一〇六頁一二行目

行うこととされ

行うこととされ、したがって、新規検定時のような点数制による判定はなされないこととされ

B一〇七頁末行から

B一〇八頁初行

されている(検定規則一六条)

されている(検定規則一六条)が、一方、著作者の正誤訂正申請権を認めた規定はどこにもない

B一一三頁末行

告知された。

告知された。「日本の侵略」に関する記述についての改善意見に関する指示の伝達に当たった時野谷教科書調査官の口調は「ご再考願えないか。」「何かお願いできないか。という程度で、さほど強いものではなかった。

B一二二頁九行目

昭和五八年九月八日

昭和五八年九月一六日

B一二四頁

一〇行目から一一行目

第二二号証、

第二二号証、第七〇二号証、

B一二七頁九行目

原告は、

原告は同社を通じて、

D三二頁六行目

維新史料編纂事務局

維新史料編纂会

六行目から七行目

、昭和一三年

【削除】

同九行目

「巻八」(甲第二二四号証の二)

「巻八」(昭和一三年、甲第二二四号証の二)

D三三頁四行目

赤報隊

赤報記

D三五頁六行目

点に関し、

点に関し、昭和五五年度検定時までに

同一一行目

「皇軍之威光」を輝かすよう励まれたい旨の

鎮撫のために「奮興」せよとの

D三六頁

初行から二行目

議定・参与局

太政官

同三行目から

七行目

【鉤括弧内の読点「、」】

【すべて削除】

同四行目

軽ク致シ

軽ク致

同七行目

為可

可為

D三七頁三行目

総督府

東山道総督府

同六行目から

D三九頁一〇行目まで

【記載全部】

② 年貢半減令の布告者は、赤報隊にとどまるものでなく、一月一四日には広島や萩、岡山など中国地方一帯に、太政官の名で本年度年貢半減が布告された。

D四二頁六行目

戊辰半減

辰年半減

D六一頁二行目

南京付近

南京附近

D七〇頁八行目行頭

首都衛戊

首都衛戍

D七二頁八行目から

九行目

後記「決定版南京大虐殺」に収載

「決定版南京大虐殺」、乙第一九一号証

同一一行目

昭和四八年

昭和四八年、前者は甲第二五二号証、後者は甲第二四三号証、乙第一九九号証

同一二行目から

一三行目

【括弧内の記述】

現代史出版会、昭和五〇年、乙第一五六号証

D八九頁五行目

している

している(もっとも本件検定時までに同教授が右教育的意義に関する見解を公にしていたと認めるに足りる証拠はない。)

同末行

龍渓書舎

龍溪書舎

D九四頁八行目

「万有百科大事典6」

「万有百科大事典6」の「日清戦争」の項

D九五頁二行目

『東学の乱』

『東学党の乱』

同三行目

場合

ばあい

同五行目

外務省外交史料館

外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会編

D九八頁七行目

取り上げた

取り上げた中塚明ら著作の

D一〇五頁七行目

及び同児島襄

、同児島襄及び同笠原十九司

D一〇六頁初行

軍人ノ状況」

軍人ノ状況」(昭和一四年二月陸軍省通牒添付参考資料)

D一一一頁一〇行目

士気

志気

D一一七頁五行目

(現教授)

(執筆当時)

D一二一頁六行目

非公開裁判

西側ジャーナリズムに自由に公開されていない裁判

D一二六頁初行

前掲「悪魔の飽食」出版までは、

前掲「悪魔の飽食」出版のころまでは、

同四行目

設備

施設

D一三一頁四行目

弁論の全趣旨により真正に

成立したものと認められる

弁論の全趣旨により原本の存在及びその真正な成立が認められる

同六行目

及び同一冨襄

、同一冨襄、同石原昌家及び同波多野澄雄

D一三四頁二行目

殺しあったり、

殺し合ったり、

D一三五頁七行目

「禁ズ。」

「禁ス」

同八行目

間諜トミナシ処分ス」

間諜トシテ処分ス」(但し、参諜長名の公布時には冒頭の「爾今」は記載がなかった。)

同一一行目

日本軍部隊の訓令

日本軍部隊の戦訓

D一三六頁一〇行目から一一行目

では、戦闘協力者として「正当な理由なく、友軍敗残兵に殺害されたもの」のあること

には、戦傷病者戦没者遺族等援護法適用にあたり厚生省係官の意見として、その対象者たる戦闘協力者の一類型として「正当な理由なく、友軍敗残兵に殺害されたものが掲げられていること

D一三九頁五行目冒頭

る、

同六行目

威嚇

威赫

D一四五頁末行

八五〇九人

八五九〇人

D一四六頁二行目から三行目

遺家族援護法

戦傷病者戦没者遺族等援護法

同四行目

陸軍関係死没者

陸軍関係戦闘協力者として死没した者

D一四七頁九行目行頭から

一一行目行頭の「される。」まで

【全文訂正】

壕追出しや自決強要を含む日本軍による住民犠牲者数は少なくとも六二〇人、その内「集団自決」者数は五一〇人余と推計される。

同一二行目

食糧略奪

食糧強奪

D一四八頁初行

確定されていない

確定されてない

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